すみそめの ゆふべの月を とらむとて 千たびまよひし 幻の山
*「すみそめの」は「ゆふべ」にかかる枕詞ですね。「千たび」は「ちたび」と読みましょう。わかっていると思いますが、一応。
今週もいくつか詠めました。でもなかなかすっきりと言葉が決まらなくて、気に入らないのが多い。その中でこれはましなほうでしょうか。言いたいことが31文字になんとか収まっている。
夕べの空にかかる月をとろうとして、千度も幻の山を迷ったことですよ。
月は山のてっぺんに登ったとて、とれるものではありません。あれははるかな空を泳いでいる尊い光なのだ。そんなものをとろうとすること自体が愚かなことなのだが、馬鹿な人たちは、目に見えるものだからとれるものと思い込んで、幻の山を迷い続ける。
彼らは月になりたいのですよ。あんな美しくて高い存在になりたいのだ。だからその月を盗もうといろんなことをする。かたちを真似して、服装もそれらしくして、なんとも上手に化ける。そんなことをしているうちに、魔法が起こって、自分が月になれるのではないかと、そんな夢想を抱いている。
馬鹿な人たちは、自分は自分以外のものにはなれないのだということが、わかっていてもわかりたくないのです。自分は何もない馬鹿だと思い込んでいる。そんなものよりは、はるかに高くて美しい月の方がいい。あれを自分にしたい。だから目に見えてわかることは、全部盗んで、かたちだけはずいぶんと似ている、月に化ける。
そんなことをしても、月になれるわけがない。月は月、自分は自分で、全然違うものだからです。馬鹿をやっていないで、本当の自分を振り返り、じっくりと時間をかけて、自分を育てていく方が、ずっと美しいし、いいことなのだが。
馬鹿はいつまでも幻の山を歩いている。歩いているうちに、神が折れて、自分を月にしてくれるのではないかと、そんな愚かな夢の中を、さまよっている。