霧に浮く にしきの影を おひつづけ いつはりの世を まよひゆく人
*今週は何首か詠めました。少し調子が戻ってきたような気がします。封じ込められた感性の、隙間から、少し水が漏れてきたような感じです。そういいものではありませんが、なかなかに痛い。このままだんだんと元の調子に戻ってくれればいいのですが。さて。
霧に浮くにしきの影とは何でしょうね。それは霧のような幻の壁に映る、きらびやかな幻です。動物的で、刹那的な快楽を追いかけるものが見る、すばらしく豪華な夢です。
動物というものは、いつでも肉体的な快楽を追いかけるものだ。うまいものを食いたい、セックスをしたい、そういう欲望を満足させるために生きているものだ。しかし人間ともなると、それだけでは許されない。もっと高いことを神に要求される。愛について勉強せよと、大きな課題が降りかかる。
そういう人間となっても、まだ動物的な欲望のみに生きようとするとき、人は霧に浮くにしきの影のような、まがまがしい幻の幸福を夢見るのです。
例えばテレビでヴァラエティ・ショーなどを見てみると、美しい衣装を着てまぶしい光を浴びながら若い男女が踊っているのをよく見ますね。彼らは一体何を追いかけているのだろうと考えます。顔も肉体も、嘘で作り上げ、偽物の美貌をかぶって、色を振りまいて、何を求めているのだろう。
彼らは快楽が欲しいのです。嘘で作り上げた偽物の自分の奥には、猿のように何もない寂しい自分がうずいている。その自分の中の動物が、しびれる快楽を欲しがるのです。そしてそのためなら、どんな馬鹿なこともする。
人の美貌を盗み、人の宝を盗み、自分にくっつけ、自分だけの幸福を作り上げようとする。そして嘘で作った幻の世界に、深く迷い込んでいく。
本当の幸せは、そこにはありません。本当の幸せは、肉体の快楽の中ではなく、魂の中にあるのです。
どんなに丈夫そうに見えても、霧に描かれた幻は、はかない。真実の風に洗われて、いつか消えてゆく。
嘘で作った幸せは、魂の喜びを呼ぶこともなく、ただ矛盾にねじれた苦しみで、人間を縛ってゆくばかりなのです。