たまちはふ 神の心の 去りゆきて まだおひもせぬ 馬鹿者の闇
*今週は5首ほど詠めましたか。調子がいいとは言えませんが、少し復調してきたような気もします。このままだんだんと良いほうに行ってくれればいいんですが、さあどうか。馬鹿の妨害はまだ続いています。
「たまちはふ」は「神」につながる枕詞ですね。だから特に訳しません。神の心が自分から去っていったのに、まだそれを追うこともしない、馬鹿者の闇であることよ。
この時代、馬鹿な人たちは、神の忍耐の限界を超えるようなことをしてしまい、神の愛を失ってしまいました。神がもう、馬鹿な人たちを愛するのが嫌だとおっしゃるのです。それほど、馬鹿な人たちはひどいことをしたのです。
彼らは本当の自分を嫌がり、他者からいいものを盗んできて自分に飾り付け、まったく違う人間に化けています。そして完璧に愛のふりをして人をだまし、自分のいやらしいエゴを満足させようとするのです。愛ではないものが、愛のふりをして、人をだます。それは神が最も嫌うことなのです。
神は馬鹿な人たちに、悔い改めて本当の自分に帰れと、何度もいさめてくださいましたが、馬鹿な人たちは従いませんでした。そしてとうとう神の忍耐の限界を超え、神に嫌われてしまったのです。
そうなったらもうおしまいなのですよ。神に嫌われてしまったら、神がもう何もしてくれなくなる。空気も水も光も食べ物も、神が与えてくださるものみんな嫌なことになってしまう。馬鹿な人たちは、息をするたびに、水を飲むたびに、光を浴びるたびに、それを神から盗んでいることになり、痛い罪を犯していることになるのです。
だから神に嫌われてしまったら、大急ぎで神に謝り、嘘を捨てて、すべてをやり直していかねばなりません。だのに馬鹿な人たちは、なかなかそれをやりません。嘘で作り上げた美貌や幸せを失うのが嫌なのです。それはひとから盗んできたもので、本当は自分のものではないのに、それを返すのがつらいのです。
馬鹿者の闇とは、黒々とした動物的エゴに支配された、心の闇のことでしょう。自分さえよければいい。他人のことなどどうでもいい。だから盗んだ幸せを離したくない。
苦しいですね。そのまま嘘の人生を生ききれば、すべてを失って、愛が何もない寒い地獄に落ちねばならないのです。それでも馬鹿は、今の自分の幸福にこだわる。
浅薄な偽物の幸せを惜しむばかりに、彼らは永遠の不幸の国に、吸い込まれてゆくのです。