逃ぐること かなはぬわれを 逃げ捨てて 迷ひの果てに 神を失ふ
*今週は2首ほど詠めましたか。相変わらず調子が悪いですが、せっかく詠めたので、そのうちの一つを取り上げましょう。
人間、本当の自分から逃げることなど、できるはずがないのですがね、そういうことをする人が、世の中にはよほどたくさんいるのです。人の顔や姿を盗み、まったく違う人になりすまして、自分をごまかしている人が、相当にたくさんいる。
彼らは自分が嫌なのです。その自分は、いやらしいことばかりして、自分だけを得させようとしている、汚いやつだからです。悪いことばかりしているから、相当に醜くなっている。そんな自分より、あっちのきれいな自分のほうがいいと、単純に思い込み、人のものを盗んで自分に飾り付け、まったく自分とは違う自分を、偽造している。
姿かたちをきれいにして、それなりに痛いことをしていれば、良い人間になれるとでも思っているのか。そのために、盗みばかりふんだんにやって、人様に迷惑ばかりかけているのに、自分はまっすぐな良い人間だと言い張るつもりなのか。
そんな風に、人の幸せを食うて、この世に苦悩を振りまく、馬鹿な人たちは、もうこの時代で、神に見切りをつけられるのです。
本当の自分を嫌がり、他人の自分を盗んで生きるものが、一人でもいれば、この世に苦しみが絶えない。だから神は、いつまでも偽物の自分にこだわって、本当の自分を生きない馬鹿者を、見捨てることになさったのです。
逃げることはできない自分を逃げ捨てて、迷い迷った果てに、神の愛を失う。
いつまでもいつまでも、偽物の自分にこだわって、本当の自分から逃げていると、もう神が逃げていきますよ。二度とは愛してくれなくなる。そうなれば、大変なことになる。
神に嫌われたら、人間はもうおしまいなのです。
だからそうなる前に、嘘の自分を捨てて、本当の自分に戻りなさい。それがたとえ、どんな醜い顔をしていても、すべて受け入れ、すべてをやり直すのです。