いやなこと してる自分が つらいから ほかのきれいな 人になりたい
*大火節です。今週はわたしもいくつか詠んでいるのですがね、大火のこのパンチにはかなわないと思って、これを取り上げました。
人間は、自分以外のものにはなれないというのが、当然の理なんですが、馬鹿者はそこを平気で飛び越えようとします。自分なんていやらしいことばかりするいやなやつだから、そこをまるごと取り替えて、違う自分になりたいと思う。そうすれば、汚いことばかりする自分が全部変わって、きれいな自分になれると思っているのか。
それは無理な話ですよ。人の皮を盗んでかぶって、他の自分になろうとしても、本当の自分が変わるわけがない。余計に罪が重なって、また自分が汚くなるだけです。わかっているはずなのに、馬鹿はそれをやめない。どうしても自分が嫌なのです。あっちのきれいな人になりたい。あっちのほうがきれいだから、あの人になりたい。それでまた嫌なことをし重ねて、また自分が嫌になる。
これを矛盾の回転地獄というのですがね、馬鹿者は自分から逃げている限り、その地獄に苦しみ続けるのです。
自分以外の人になりたいということは、自分の責任から逃げることです。今までなしてきた数多くの罪から、逃げることなのです。馬鹿者は自分が美人になっていい目を見るために、人からいいものをたくさん盗んできた。その罪の反動が来るのを恐れて、自分をまるっきり変えて、ほかの、何にも悪いことをしてないきれいな人になりたいと思う。そうすれば罪の反動から逃げられると思うのか。
そんなずるいことばかり考えているから、馬鹿になるのですよ。自分がどんどん嫌なものになる。それが苦しくてまた逃げる。また盗む。永遠の矛盾の回転。
その苦しみから自分を解放するには、馬鹿なことをやめて、すっきりと本当の自分を受け入れるしかないのです。逃げることはできない自分の、罪も影もすべてを認め、正直な自分の姿に戻り、すべてをやり直していくしかない。そうすれば救われるのだが。
馬鹿者はそうすれば自分が醜くなるからと、やりたがらない。嘘でも美人のほうがいいからと、また迷い続ける。そしてとうとう馬鹿になりきる。
最後にわたしの作品もあげておきましょう。
われを捨て あれになりたや そこもなき まよひの沼に しづみてぞ果つ