つかれはて これよりいけぬ 壁を見て たふれむまでは まことをなさむ
*これは6年前に仲間が詠んでくれたものです。わたしたちが絶好調でツイッターで暴れまわっていたころの作ですね。今のぎくしゃくした固い作品と比べると、言葉がのびやかで気持ちいい。今週はいくつか詠めたのですが、ツイログで過去作を眺めていて、これが目にとまり、取り上げました。
これを読むと、かのじょを思い出します。人間の無明の時代の、すさまじい逆風に耐えながら、一筋のまことの道を生きていた。人類の救済の夢を抱いて、神に従い、まっすぐに生きていた。
そして、人類の救済のために、最初の大きな一手を打ってくれて、それをなし終えたあと、疲れ果てて倒れた。
かのじょがもたらした救いは、すばらしい自分自身というものでした。自分とはすばらしいものなのだ。愛で、すばらしいことをやってゆくことができる。美しい言葉を連ねた、一巻の日記を発表することで、かのじょは人類にすばらしい真実を教えたのです。
しかし無明の時代の人間の迷いにはすさまじいものがありました。かのじょが美しい女性であったがため、性欲と嫉妬にまみれた愚かな人間たちが、一斉にかのじょを馬鹿にしたのです。
乱れに乱れた無明の闇の世界に、ただひとつの愛の真実を投げた。それに対する人間世界からの反動は、あまりにもきつかった。かのじょは耐えて、生き抜こうとしてくれましたが、限界を超えすぎて、とうとう倒れた。
もう10年も前のことです。あれから時が経って、人間もだんだんわかってきた。解脱者が増え、すばらしい自分自身のすばらしい幸福が広がってきている。人間が愛に目覚め、すべてをやり始めている。それもこれも、かのじょがあの最初の一手を打ってくれたからこそ、あるのです。
人間が何もわからなかったその時代を、孤独と無理解の暴風に耐えながら、倒れるまでまことを通してくれたかのじょに、わたしたちは深く感謝しています。かのじょがやってくれたからこそ、今のわたしたちの活動がある。
人類の救いの道が、新たな愛の時代が、開けたのです。