いかにして 深きを知らむ 月の海 夢詩香
*レオナルド・ダ・ヴィンチは、月には海があると考えていたそうです。確かに、月の表に移る薄い影は、海のように見えないこともない。今考えられている月の地図には、海と名付けられた地形がたくさんありますね。
「静かの海」とか「豊かの海」とか。「幸福の湖」とか「愛の入り江」とかもあるらしい。美しい名です。
海と言ってももちろん水はなく、暗い玄武岩に覆われた広く平らな土地です。月に水があれば月に住めるなどということを考えて、月に水を探している人もいるそうですが、それは無理だからやめたほうがいいですね。事実上、人間は地球以外のところに住むことはできません。科学的にも無理ですが、法則的にも無理です。なぜなら、神がお許しにならないからです。
宇宙開発はすぐにでもやめなければならない愚行だということは、わたしたちは何度でも言います。遠い未来の人類に、多大な迷惑をかけることになるのです。
あなたがたは、神の創造について、ほとんど何も知らない。地球から見た視点で宇宙を見ても、何もわからないのですよ。痛いことをすれば、神の世界にいやなことをしたことになり、それが返ってきた時には、実にすごいことになるのです。焦ってやめたほうがいいのですが、それがなかなかできないのが馬鹿というものだ。
それはともかくとして、表題の句はもちろん、月に擬せられたあの人の深い心を知るにはどうしたらいいだろうという意味が秘されています。月はとても高いところにある。そこにある心の海の深さはどれくらいだろう。
身近にある池の深さすら、測るのは大変だというのに、人の心の深さなど測れるはずがない。天使ならなおさら。
だれが考えていたでしょう。あの人が本気で、人類の救済を考えていたなどと。
あの人の心をとりこにすることなど、月にロケットを飛ばすことよりも難しい。それでも、美しさだけに目がくらんで、そんなことをやろうとするのが馬鹿なのだ。
月は紙でできているのではない。神が崇高な御技でおつくりになったすごいものなのです。それなのに人間は、紙でできていると信じているのではないかと思うほど、馬鹿なことをやるのだ。何も知らない。
何も知らない。