城壁の 螻蟻の穴に 月を見て 千乗の国 露と消えゆく
*実はこの歌は、最初、末尾を「ぬる」にしていたのですが、弟子たちが、それはきつすぎると言ってきたので、それを採用して、「ゆく」にしました。どうも、「ぬる」にしてしまうと、感情的に非常につらいらしい。実情は「ぬる」であるらしいのだが、どうも相当にそれが悲惨らしいのです。
まあ解説するまでもないでしょうが、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。つまりは「ぬる」にすれば、係り結びの省略形になり、非常に強い意味になる。
「螻蟻(ろうぎ)」とは、文字通り、螻(けら)や蟻(あり)のことです。韓非子にあるこの言葉から来ています。
千丈の堤も螻蟻の穴を以って潰ゆ。
一丈とは十尺で、約3.03mですが、千丈というのは単にとても長いということを意味します。千丈もある大きな堤も、小さな螻や蟻の穴一つから、崩れ去ることがある。大きなものをふんだんに持っているからと言って、油断して馬鹿なことをしていると、大変なことになるよという意味です。ほんの小さなとるに足らないものだと甘くみていたものから、すさまじい現象が起こって来ることがある。
まあ詳しく言わなくても、身に染みてわかっている人は多くいることでしょう。
千乗の国とは、戦車千台をも養えるようなとても大きな国という意味です。もちろん千丈とひっかけてあります。千丈の堤よりずっと大きいですね。
城壁に、螻や蟻が空けた小さな穴から、月のように美しい美女を覗いていたら、そこから大変なことが起こって、千乗の国がとうとう、露のように消えていくのだと。
これを「ぬる」にしてしまったら、完全に消えてしまったという意味になりますね。たしかに、これはきつい。
まあ、実情は、まだあるものはあるのだろうが、それもほとんど幻のようになっているのでしょう。形はあるにはあるが、風よりもむなしい。誰も愛してくれないからだ。
消えるということは、必ずしもそのものがなくなるということではない。存在意義が全く馬鹿になってしまうということもあるのです。あるということが、激しく恥ずかしい。消えてしまったほうが幸せだ。そういうものが、ある。それも、山のように堂々としている。
これが、馬鹿になったということです。
千乗の国が馬鹿になった。なぜか。たった一人の美女を手に入れるために、その千乗の国の価値をすべてつぎ込んだからです。ゆえにその国の価値が、螻蟻の穴から見えるたったひとりのかわいい美女より小さくなったのです。
千乗の国を作り上げた、男の価値がすべて、馬鹿になった。
阿呆ですね。