春駒を 駆りて岩戸を 訪ぬれば 錠前の枝に 鷦鷯が住む
*今日は短歌です。これもわたしの作品ではありません。夢詩香の名前を書かないものは、みんなそうだと思ってください。
「鷦鷯(しょうりょう)」は、ミソサザイのことです。馬を駆って春の野をゆき、あの人が眠っている岩戸を訪ねてみれば、戸にかけてある錠前の掛け金に、ミソサザイが巣を作っていたと。
美しい情景ですね。
こういうことわざがあります。
鷦鷯、林に巣くうも一枝に過ぎず。
ミソサザイが、林の中に巣をつくるには、一枝あれば十分だということです。要するに、人は自分の分にあった家に住むのがいいという意味です。
友達が一人か二人しかいないのに、大きな客間が五つもある邸宅に住んでいても、なんの意味もない。小さなアパートの六畳間の一室くらいあれば十分だ。だのに人は、なぜか大きくてきれいな家に住みたがる。
そんな風に、自分に不似合いな家に住んでしまうと、十分に手入れができなくて、中がとても荒れたりしてしまいます。誰も友達は来てくれないから、掃除なんてしても仕方ないと、人は思う。そうすればほとんど何もしなくなる。
そして、悲しいことが多くなる。大きな家に、友達の代わりに、違うものが訪れてくるからです。
人間も、ミソサザイのように、十分に自分の力で温められる家に住むのがいい。
だがそんなミソサザイに、錠前に住まれてしまうと困る。小さな錠前の掛け金を、枝だと思って住んでしまったミソサザイの、ささやかな家を壊すわけにもいかない。その小さな巣にはもう、かわいい卵が産まれている。
これではとても中に入っていけない。
訪問者は仕方なく、花を戸の前において、愛のことばをささやきつつ、馬を返して帰っていくのです。