ひとひらの はかなく白き あはゆきの 語りしことと 言ひし月の上
*「上」は「え」と読みましょう。紫の上とか、葵の上とかと同じ感じで、「つきのえ」です。美しい響きですね。もちろんかのじょのことです。月のように美しい尊い人という意味です。
これは、かのじょが鳥音渡の名前で書いた詩のなかの一片を抽出して作った歌です。「あはゆき」という詩です。一応リンクをつけておきましょう。
美しい響きが、かなり短歌の調子になっていたので、一言を添えて、歌にしてみました。やったのは、わたしではありません。気の利いたやさしいことをしてやりたいという、深い思いやりのある人がやってくれたのです。
あの人の美しいことばを、もっといいことにしてあげたいと。
かのじょが言いたかったことは、こういうことでしょう。たくさんのことを言ってきたが、それはひとひらの、すぐに解けて消えてゆく、はかない淡雪が語ったことのようなものだ。どれだけ多く語っても、きっと誰にも分りはすまい。
実際、あなたがたには、あの人の心は微塵も理解できませんでした。ただ、姿が美しい女だというだけで、頭から馬鹿だと信じ込んでいた。何もかも嘘だと決めつけていた。それで、美人が自分の思い通りにならないというだけで、存在そのものを消してしまったのです。
あなたがたは、かのじょが、「ありがちな美人」というものだったら、安心できたんですよ。きれいなことを鼻にかけて、いやらしいことをするような女だったらよかったのです。馬鹿にして、つらいことをしても、嫌なことにならずに済む。巧みに、相手が馬鹿なせいだということにすれば、セックスをして捨てても、自分が悪いことにはならない。
だが、そんなことが通用する美人など、本当はいないのです。馬鹿が考える浅はかな手が通用する相手は、偽物の美人か、とても段階の若い、まだ何もわからない女性だけです。
ダイヤモンドに目がくらむような女性だったら、あなたがたはあそこまであの人に夢中にならなかったでしょう。なぜ、あなたがたがあそこまで夢中になったかというと、あなたがたのいる世界では、絶対にありえないような、美女だったからです。
美しいのに、悪いことをしないなんて、あり得ない。あんなにまじめな良い人間が、美女であるなんて、あり得ない。馬鹿はそう信じ込んでいる。それでないと、自分が困るからだ。
自分より美しい人間が、心まで自分より美しかったら、もう今の自分がたまらなく痛いからです。
ですが、自己存在の世界では、そういう心の美しい美人の方が、当たり前なのです。まだ高いことがわからない人間が、美しい女性を馬鹿なものにしたくて、あらゆる妨害をして、無理矢理真実を曲げてしまったというのが、本当です。だから、あの人は、美女というものの本当の姿を、あなたがたに教えに来たのですよ。
しかし、あなたがたの激しい暴虐の前に、力尽きて消えて行った。まるで淡雪のように。
あなたがたの激しい否定と暴言の前に、去っていかざるを得なかった。あなたがたが、真っ向から、あの人をいやだと言ったからです。
がんばってがんばってきたが、結局人間は、美女が嫌だというだけで、決して自分を理解しようとはしないだろう。その絶望に染まった心が、この言葉を発したのです。
わたしは、はかなくしろい淡雪のようだ。たくさんのことを語っても、だれもわたしを信じはすまい。
去りぬるを 恋ひて探せる 月の上の 涙の飴は 神の隠ろへ 夢詩香