おもふほど 不幸にならぬ くはしめの 月をうらみて 凡庸の道
*世間の凡庸な女は、美人は不幸になってもらわないと困ると思っているのです。
自分よりきれいな女が、自分より幸福になるのは許せないと思っている。許すも何も、人の幸不幸を許す権利などないはずだが、馬鹿な女はそんなことを飛び越えて、許せないという。なぜか。
自分がいつも不幸になるからです。
なぜ不幸になるかと言えば、努力もしないのに偉そうにするからなのだが。自分がわかっていない凡庸な女はそれがまだわかってはいない。
女性というものは、神や愛に従っていかねばならないというものです。反抗はあまりしてはいけません。いやなことをすればそれだけで二度と立ち直れないような難が来る。女性たる自分の本質を著しく剋してしまうからです。
男性にも、女性はある程度自分を抑えて従っていかねばなりません。なぜなら、男にはそれができないからです。男が男に従うのは、それが男になるという場合のみです。馬鹿にされたら必ず反撃せねばならない。それが男というもの。
だが女性は違う。常に攻撃態勢を失ってはいけない男性をなんとかするためには、女性は水のように理に従っていなければならない。
ここを勉強していない女性は、すぐにあられもないことでいろいろなことに逆らってしまい、それで自分を不幸にしてしまうのです。
男にも世間にも、できるだけ自分を抑えて従っていけば、女性は賢く美しくなり、幸福になっていけるのです。もちろん忍耐力は必要だ。あらゆる激しいことに耐えていかねばならない。美しいことをするだけで嫉妬して馬鹿にしてくる人の仕打ちにも耐えていけねばなりません。
そういうことをちゃんと勉強していけば、女性は清らかな幸福を得ることができるのです。耐えて頑張ってくれる女性を見れば、いろいろな愛が集まって来て、暖かな幸福ができる。
だが馬鹿な女性はそれが妬ましくてたまらない。自分の勉強不足を棚にあげて、ずるい、などという。あんな女嘘だ、という。本当は嫌なやつなのに、うまく芝居してみんなをだましているのだと。
そして影から回っていろんな妨害をして、気に入らない美人を不幸にしてやろうとするのです。そのやり方と言ったら、汚いなどというものではない。
そんなことばかりしているから、自分が不幸になるのだとは、全く気付いていないわけでもあるまいに。
馬鹿なことをして簡単に自分を満足させようとすることに、いまだに抗していけないのだ。
人に負けることを学んで、自分を抑えることができない限り、凡庸な女性は幸福になることはできません。