生き方に 三つめはなし 月か塵 夢詩香
*月か塵というのは、是か非か、イエスかノーか、ということを、美しいものにたとえて言い換えようとしたものです。月は大きく美しく光り、天高く冴え冴えと存在し、あらゆるものを照らしている。塵は芥子粒よりも小さく黒く、巷にあふれかえり、ほとんど何の意味もないものとして、人間を汚すことだけのためにあるようなものだ。
ウルトラマン・キオに、受諾の神イルという存在が出て来ましたが、実はあの発想の元は、イエスであったりします。日本語で呼ぶイエスが、英語で受諾を意味するYESに通じるので、それから生まれたのです。
生きることを是とし、真実の自分を信じるかと、神に問われたとき、是と言った者が、イエスである。つまりは受諾の神イルとは、自己存在に真実の幸福を与える神の意に、人間が是と言って従うように導く神ということです。
あなたは神の与える自分自身を信じて生きるか? ……イエス!
そう答えたとき、すべての自己存在は、真実の幸福に向かってまっすぐに生きることができる。そしてまさに、幸福になることができる。
自分の存在の本質に従って生きることが、生きることを楽にし、あらゆることに耐えて乗り越えていける力を与えてくれるのです。
だが、これにノーと言えばどうなるでしょう。自分は自分など信じない。こんなものは、塵のように馬鹿でくだらないものなのだ。何もできはしない。だから、何をしてもだめなのだ。そう思い込んでしまえば、あらゆることが苦しくなるでしょう。
努力しなければいけないところで努力しなくなる。自分の力など信じてなどいませんから、馬鹿なことばかりして、つらいことになるというのに、一向に何もしようとしない。痛いことになれば、すぐに人に頼って何かをしてもらおうとする。足りないものがあれば、平気で他人から盗む。そんなことばかりしていると、人生が薄暗く、きつくなってくる。嫌なことばかりが起こるようになる。
実質、人生には二種類しかないのです。生きることにイエスというか、ノーというか。月のようにすばらしいというか、塵のようにくだらないというか。
神の心を受諾すれば、それだけで不思議な力が授かり、あらゆる人生を豊かに生きていくことができる。本当の自分がどんどん大きく、新しくなっていく。自分とはそういうものだったということを、どんどん知っていくことができる。それが幸福なのに、ノーと言って何もしないものは、いつまでも狭い暗がりの中に閉じこもって、自分で自分を否定する心にさいなまれて、苦しんでばかりいるのだ。
わかりますね。短いが、深い言葉でしょう。俳句でこういうことを言えれば、なかなかにきつい感じでよい。短くて覚えやすい言葉に、高い真実をこめることができる。人間の生き方というものは、イエスかノーかの二種類のみだということなのだ。
またおもしろいものを作ってみたいですね。