ひろびろと はちすばの原 ながむれば うれひもちりぬ 風も無き空
*これは、ある夏のかのじょの思い出を詠った歌です。ある時、かのじょは子供を連れて少し遠いところにドライブをしたことがあった。そのとき、海のようにひろびろとしたレンコン畑を見たのです。
蓮の葉が一面に茂って、はるか向こうまで続いていた。夏の高い空に白い雲が見えていた。ところどころうすべにの花が散り、小さなイトトンボを見つけたりして、かのじょはたいそううれしかった。
美しい風景を見るのは、この世に生きるもののなぐさめです。
蓮の葉を見れば、御仏のことなど思い出す。
事実上、仏という存在はないのですが、しかしこの世では、美しい救済者としての伝説がありますから、蓮の葉などを見ると、その姿を幻想してしまいます。蓮の葉の上を、美しい仏が音もなく歩いてくるなどということを想像しては、かのじょはほれぼれと蓮畑を見ていた。
実際、蓮の花を見ていると、この世界での憂いも散りゆくようだ。それは実際、蓮が見る人の心にとてもいいことをしてくれているからです。
この世の憂いに激しく苦しんでいる魂にささやいてくれる。この世のほかに、とてもいいところがあるぞと。そこにいけばおまえは、いいことになる。心配するな。苦労をして、いいことを勉強したら、連れていてやろう。
物語のようなささやきが聴こえてくる。
実際、果てしない蓮の畑を見渡していると、そのまま心が浄土に吸い込まれてしまいそうだった。
もちろんかのじょには使命がありましたから、浄土などにはいかず、ひとときの幸せを蓮のもらったあと、またこの世に戻ってきたのですが。
世間ではかのじょをめぐっていろいろな汚いことが起こっていた。かのじょはそれに知らないふりをしつつ気付いていた。荒々しい人間の感情の中に、またかえっていかねばならない。使命を果たすために。
だが、あの蓮原がこの世界にあると思うだけで、心も軽くなるというものだ。また
夏になればあそこに行こう。そしてつかのま、浄土の夢を見よう。
苦しい世界を生きていくために、助けてくれるものはたくさんいる。
美しいはちすばの露のような夢を見ながら、あの人はこの世界を生き延びていたのでした。