なにもせぬ わがみのゆゑに まづしきと いひて聞こえぬ 凡庸の民
*この時代に起こった、美女のいじめという事件は、馬鹿な人間たちの自分への嫌悪感がいかに深かったかを思わせます。
それはもう執拗などというものではなかった。それ以外のことは何もしていないのではないかと思うほどそればかりやっていた。美しい女性たちの、何も悪いことをしないのにいら立って、ありもしないことを言い募り、馬鹿にし続けた。それだけではなく、人間ではないということさえした。
美しい女性たちが、くだらないことをして、馬鹿になり、みんなの前で大恥をかいて死ぬことを、みんなで盛り上げておおはしゃぎにはしゃいでやった。
なぜそのようなことをしたのか。それはもちろん、うらやましかったからです。自分はあれほど美しくはない。苦いことばかりする。あふれるほど嘘をついて、いやなことばかりしている。それなのに美女たちは別に悪いこともせず、美しいまま生きている。
その上に頭がよかったり人格が高かったりすると、もう激しく燃え上がってしまった。夢中になって馬鹿にし続けた。その自分の姿がいかに醜かったかということが、全くわからないはずはあるまいに。
夢のように、心も姿も美しい女などいてもらっては困るのだ。そんなものがひとりいるだけで、馬鹿どもの世界は崩れ去ってしまう。
美女は馬鹿でなければ困るのだ。それでなければ馬鹿な男が手を出せない。馬鹿な女が化けた美女の正体がばれる。
そんなことで、馬鹿どもは一斉に美女に襲い掛かり、大勢でつぶそうとしたのです。
なぜそんなにも自分がつらいのか。それはいいことは何もしていないからです。それゆえに自分が貧しくてつらいのだと、何度口を酸っぱくして言っても、聞こえないかのように無視する。とにかくつらいのだ。何もない自分が。
美しくなりたいのなら、それなりの勉強をせねばならぬ。それをしもしないで、ただ自分より美しいという理由だけで女性をいじめるのは明らかな間違いです。
なんでも馬鹿は美女のせいにしますがね、美女は悪くはない。悪いのは、何もしない自分の方なのです。
おばけだと言って美女たちを馬鹿にした、馬鹿どものほうがおばけなのです。人間ではない。
美しい人間なら、馬鹿みたいな人数でひとりをいじめるなどのことが、できるはずがない。
なんと醜く、臭いのでしょう。