みづかげの 月にくちづけ する人の 悔いもはてなき 凡庸の淵
*新年ですね。一応おめでとうを言いましょう。今年はまた新たな区切りとなるでしょう。
ツイッターでは、「凡庸」という言葉をよく使いますね。平凡とかありふれたとかいう意味だが、わたしたちは、勉強をさぼって暗愚の中にいる人、という意味で使っています。
人間は時に、平凡がいい、なんてことを言いますがね、それを努力しないことの言い訳に使っては堕落が始まる。何も努力しないことでできる暇を、努力している人の悪口を言うことに使い始める。
この時代、文明が人々の中に作った余暇の中に生じた、人の悪口にはすさまじいものがありました。
自分よりきれいだという美しい女性に対する陰口は醜いなどというものではなかった。それは闇にすだいて増殖し、おそろしい怪物になった。
その集団の怪物に魂を溶かして、あらゆる嫌なことをした人間たちは、もはや人間の境を越えて、人間以外のものになっている。あまりに醜いことをしたので、人類が彼らをいやがり、追い出したがっているのです。
いやなことをしすぎたら、すべての人類に嫌われ、神にも嫌われ、二度と来るなと言われながら、永遠に故郷を追い出されるということを、人類はこの時代に学ぶでしょう。
神の忍耐にも限界があるのです。もはやこれはだめだと思われたら、馬鹿なことをした人間は、国境を越えて、違うところにいかねばならない。
神の創った世界にはもはやいる場所がないのです。
水に映った月に口づけする人の、後悔も果てない、凡庸の淵であることよ。
何も努力してこなかったからこそ、今の自分が貧しいのに、その苦しさを月にひっかけて、彼らは月を愚弄しつくして消してしまった。今さらそれを後悔して、愛してるから許してくれなどと言っても、馬鹿にされるだけだ。
国境の向こうに何があるのか。どこにいくのか。そんなことは知らない。
もう出ていきなさい。