初夢を 君とあふせの 間にしたき 夢詩香
*一応お正月らしい句を詠もうとしたら、こんなものができてしまいました。連体形で終わるのは、係り結びの省略形です。
なんだか都都逸でも探したら、こんなのがありそうだ。
初夢を、あなたと会うための 一間の部屋にしたい。
要するに、夢でもいいからあの人に会いたいということです。昔からこんな歌はよくありましたね。この世ではかなわぬことも、夢の中では果たせることがある。
夢とは、人間にとっては仮庵です。心が迷うたり、しなびたりする時、ひと時幻でそれをいやすために、神が用意してくれた心の庭です。
そこに行けば、もう永遠に会えなくなった人とも、つかの間の逢瀬を果たすことができる。夢の中で会うその人は、かつて一番愛したときの、最も美しい姿をしている。微笑んでもくれる。あの時言えなかった言葉を、言うこともできる。
だが、それはつかの間だから許されるもの。いつまでも浸っているわけにはいかない。
「はてしない物語」というファンタジーがありますが、あの話では、バスチアンは夢の世界のようなファンタァジェンから現実の世界に帰ってきますが、あれは作者の強引な解釈です。本当は、バスチアンは未だにファンタァジェンにいる。彼は、本当は、帰って来れなかったのです。
なぜなら、アトレーユは仮の世界の人間だから、バスチアン本人の代わりに使命が果たせるはずがない。自分の力でやらねばならないことを、想像上の人間がやれるはずはないのです。想像上の人間というのは、それを想像する人の分身に過ぎないから。夢の世界に描いた、もう一人の自分に過ぎないから。
夢の中で会ったその人は、結局、夢の中で自分が演じた、もうひとりの自分なのです。本当のあの人ではない。
夢の中の幸福は、それはやはり、ひとときの夢。頼りにしてはいけない。
目を覚ましたら、ほんのしばらくは余韻に浸ってもよいが、結局夢は夢だとわかれば、けりをつけて、本当の自分の世界に帰っていきましょう。そこで、本当にやらねばならないことを、やっていくのです。
お正月からきつい話になりましたね。まあ、つらいことは、休みが終わってからでもかまいません。お正月休みは、ゆっくり過ごしてください。