わがものと おもひしことの われならず すべて我が世は あほうとなりぬ
*馬鹿の妨害は長々と続いています。頭をしぼっても、言葉がなかなか思いうかばず、歌がなかなか詠めません。それでも今週はいくつか詠めましたか。あまりいいできではありませんが、そこから一つあげてみましょう。
自分がしたことと思っていたことが、そうではなく、自分の人生がすべて、馬鹿になってしまった。
これは、ある死者の心を詠ったものです。その死者は生前かなり有名なアーティストで、それなりの仕事をした人だったのですが、死んでから、それらがすべて嘘だったということが、わかったのです。
自分でやったと思っていた仕事が、すべて、裏の馬鹿の霊たちにやってもらっていたことだった。自分の才能も名声も、すべては嘘と盗みで作った偽物だったのです。それを知ったとき、死者は愕然とした。それなりにいい仕事をしたいい人生だと思っていたのに、それがすべて、嘘だったからです。
このように、嘘と盗みで自分の人生を良いほうに回そうとする人は、たくさんいますが、いつも死んだ後で、大きなショックを受けるのですよ。自分の生きてきた人生が、まるごと馬鹿になるからです。それはそれはつらい。
結局嘘は何にもならない。自分の人生を嘘で作った死者は、自分では何もやっていなかった。他霊がやってくれていたことを、自分がやっているものと思い込んでいただけだった。むなしさが重い石のように心に落ちてきて、人生を偽造した罪だけが自分に残る。
それにしても、表題の作は大火のものですが、彼にしては少しおとなしいですね。彼なら普通、最後の七は、「糞となりぬる」とでもするのではないかと思うのですが。その方が、人生を嘘で満たした馬鹿者の絶望感が強く出るように思います。
死んだばかりの死者に鞭を打つのを、少し遠慮したのかもしれません。