とこしへの 関をくづして 夢は落ち ノースコリアの さかさまの空
*普段はカタカナの言葉などめったに使わないが、たまに使うと印象が深まりますね。ノースコリアとはもちろん北朝鮮のことです。北朝鮮と言うと歌になりにくいが、ノースコリアというと詩情が深まる気がする。
ことばを巧んで歌うと、嘘寒い北朝鮮の風にも、それなりに美しい形で歌を詠いかけることができるようです。
とこしへの関、というのは、そこを崩してしまえばもうおしまいだという関のことだ。そんなことをしてしまえば、人間としてもう終わりだという関がありますね。たとえば、田舎でまじめに生きているひとりの女性を、ただ美しいからいやだという理由だけで、万人の人が影からいじめて殺そうとするなど。
普通考えられません。なぜそんなことができるのか。できる人は人間ではない。
かのじょの子供のころは不幸だった。貧しい家に生まれ、父にも母にも愛されず、苦労して育った。大人になって、自分の人生をなんとかしようと、自分で必死にがんばっていた。なんでそんな子をいじめられるのか。
そんなことが平気でできるのは人間ではありません。どんなに理屈を歪めて、自分を正義にしようとしても、非道という言葉さえ優しく感じるほど、ひどい。
そういう人間の関を崩してしまえば、もう人間ではないのです。悲しいかな、もう永遠に人間ではないものとなり、地球ではないところにいかねばならない。
北朝鮮という国には、神はいらっしゃいません。あまりに馬鹿がひどいことをしたので、神に見捨てられてしまったという、この地球上で唯一の国です。そこでは、天地をさかさまにするようなことが、毎日のように行われている。すべてがひどいことになっている。
人はいるが、非常に少ない。女性の霊魂などは、そこに生まれたらすぐに人生をやめてしまう。その人生はまるごと空っぽになり、他の霊がみんなであやつる傀儡になってしまう。
そんなものばかりが住んでいる国なのです。何をしても何もならない。たくさんいるようで、本当はだれもいないような国なのだ。
地球上にある、地球外というところの、代名詞のようなところなのです。
夢は落ちというが、何の夢を見たのか。永遠に自分がいちばん偉い国です。そして、女を好きなようにできる国です。
馬鹿はいつでも、そんなことばかり考えている。そして人間ではないということを、し続けてきたのです。