比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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今日は何の日・・・77年前沖縄で日本が敗れた日・・・さとうきび畑に風が吹く

2022-06-24 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
                                     、
今から77年前の1945年6月23日は・・・沖縄で日本軍の組織的な地上戦が終った日・・・
太平洋戦争の終盤、沖縄では1945年4月1日の米軍上陸進攻にはじまり壮烈な地上戦が繰り広げられ6月23日沖縄軍最高司令官牛島満陸軍中将の自決で日本軍の組織的な戦争は終わります。

※沖縄戦犠牲者(Wikipediaより) 日本側19万人(うち沖縄県人12万人・・・沖縄県人の犠牲者はこれを上回ると思われる)、米軍側1万数千人。 

1961年米軍統治下の琉球政府はこの日を「慰霊の日」として公休日と定め、1962年から沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれるようになりました。「慰霊の日」は1972年本土復帰にともない「国民の祝祭日」から外されましたが、1991年沖縄県条例で「慰霊の日」が復活しました。

・・・黙祷・・・そしてあの戦争は終わってない


1967年寺島尚彦が作詞作曲で発表した「さとうきび畑」です。11節からなります。一部をコピーしました。興味のあるかたはネットで見てください。

ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
あの日鉄の雨にうたれ
父は死んでいった
夏の陽ざしのなかで


ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
そして私の生まれた日に
いくさの終りがきた
夏の陽ざしのなかで



★沖縄戦の凄惨さも沖縄という文字も語られていません、「鉄の雨」という文字が出てきます。アメリカ人ベローテ兄弟の著作「Typhoon of Steel」からこう呼び、日本側が「鉄の暴風」と翻訳したことからだそうです。
寺島尚彦・・・作曲家、1964年石井好子の伴奏者として沖縄を訪れ摩文仁の丘で深いショックをおぼえ「さとうきび畑」を作詞,作曲。
1967年田代美代子がコンサートで初演、1969年森山良子レコーディング、1975年NHK「みんなのうた」でちあきなおみが。2005年NHK紅白歌合戦で森山良子、森山直太朗がデュェット、寺島さんは「平和になってこんな歌は忘れてもらいたいいたい」と言っていたそうですが、沖縄はいまも基地の島、この歌は忘れられらることなく歌い継がれています。

さとうきび畑夏川りみの歌うYouTubeです。・・・羽根健太郎、新垣勉、藤原道山、共演。


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