比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

久しぶりのロングドライブ・・・霊峰富士の伏流水が湧く・・・忍野八海

2022-02-05 | 道をゆく 関東
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍・・・鎮静化したり、拡散化したり、ふたたび沈静化したり・・・またまた新顔の変異株が上陸して・・・凄まじい勢いで・・・
そんな中で毎日、オンラインワークだけで外出もせずに・・・頭がおかしくなる・・・
1月29日、気晴らしに富士山を見に富士吉田、山中湖、忍野八海に・・・ストレス解消ロングドライブ。
家から圏央道、八王子JCT、中央自動車道で富士吉田まで2時間ちょっと。

富士山に降る雪は・・・山肌に滲みこみ伏流水となって湧き出る。
延暦大噴火(800~802年)で山中湖と忍野湖ができ・・・
忍野湖が乾き盆地となり、8箇所の泉が噴き出て・・・忍野八海と名づけられた。


泉にコインを投げ入れないでください
ローマの「トレビの泉」にコインを投げると願いが叶う・・・という伝説があり観光客の名所になっているそうですが、トレビの泉は水道から水を引いた人口の泉・・・忍野八海の池は自然の泉です・・・バルブで給排水を調整できませんのでコインの回収ができません。

※撮影日は1月29日。


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草津温泉まで行ってきました・・・湯もみショーで有名な・・・熱乃湯・・・です

2021-10-22 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

草津よいとこ いちどはお出で
 お湯の中にも ソリャ花が咲く チョイナチョイナ

草津節に合わせて湯もみショーが開かれているイベント会館「熱乃湯」です。  

★草津節が歌われるようになったのは1918年大正時代の中頃、昭和時代のはじめ大いに流行ったとのこと。作詞者、作曲者の詳細は諸説あるが不明。
★熱乃湯で湯もみショーが始まったのは1960年、1968年会館が建替えて2014年まで。2015年再度建替えられ現在に。

看板です・・・右から・・・「熱廼湯」(あつのゆ)・・・と読みます。
※撮影日は9月21日。


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秋の一日・・・草津温泉まで行ってきました・・・地蔵温泉・・・です

2021-10-21 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

草津温泉の共同浴場・・地蔵の湯です。
草津温泉には19の共同浴場があり、かつては草津町の住民のほか宿泊者の外湯巡りや日帰り観光客が自由に入浴できましたが、いまは地蔵の湯、白旗の湯、千代の湯の三浴場だけになっています。いずれも入浴料無料。

草津温泉三大共同浴場の一つ・・・地蔵の湯源泉です。小さいながら湯畑も。
1775年の文書に記載があるそうですから江戸時代中期にはすでに共同浴場でとして開湯していたと思われます。
江戸時代に地元の篤志家が建てたという地蔵堂です。

足湯があります。

2006年に改築した地蔵の湯です。入浴料無料、ロッカー無し、浴場内に着衣置き棚、履物置き場があります。
※撮影日は9月21日。
地蔵の湯・・・草津温泉湯畑から小さな小路を歩いて3分、駐車場無し。管理人なし、出入り自由、鍵付きのロッカーがないため貴重品は自己責任。履物置き場も間違いを避けるため浴場内に置き場が。
地蔵堂・・・口承のみで定かな記録がないため詳細不明ですが江戸時代権兵衛なる人が目を患い、地蔵様に平癒を願った快癒したためここに地蔵堂を建立したという。目洗い地蔵がありますが温泉水で目を洗うのは危険です。

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秋の一日・・・草津温泉まで行ってきました・・・湯畑・・・です

2021-10-15 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

草津温泉のシンボル・・・湯畑です。
湯畑・・・毎分4000㍑がの流れる、源泉の湯温調節、硫化水素の大気拡散、湯桶による「湯の花」の採取、草津温泉ではその規模の大きさのため観光の目玉、ランドマークになっています。







※撮影日は9月21日。
草津温泉・・・群馬県西北部、標高1000~1200m、長野県境に近い古くからの温泉場、草津の地名由来は温泉の硫化水素の強烈な臭いから(臭い水)。開湯は開湯はヤマトタケル伝説、行基伝説、源頼朝伝説など諸説ありますがいずれも文書はありません。16世紀、戦国時代には既に栄えていたようです。江戸時代は江戸幕府直轄の天領。源泉の湧出量毎秒32300㍑は日本一、酸性度PH2.1は日本有数。

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早春の志賀高原・・・標高2152mの渋峠から・・・国道292号線最高点2172mへ・・・

2021-06-04 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

4月23日快晴、志賀高原方面に山見ドライブ・・・
中野IC(標高350m) から国道292号線を渋峠に・・・

長野と群馬の県境・・・渋峠・・・国道292号線の標高2152mを示す標識です。

渋峠から群馬県に入って南に500mばかり・・・標高2172m・・・国道292号線最高点です。

★どうでもいいことですが・・・国道の標高最高点第一位はここです。2位は八ヶ岳を横断する国道299号線麦草峠2127m。

国道292号線渋峠越えはロードバイク、オートバイクのメッカです。

草津町天狗原ゲートから渋峠ゲートの間は2020年11月13日からクローズ.。今日、2021年4月23日10時に開通。


※撮影日は4月23日。

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撮り鉄とウォーキング・・・行田市で見つけたチョッとレトロな昭和の建物

2021-04-14 | 道をゆく 関東
・・・彩風人の写真帳・・・
コロナ禍で蟄居中・・・運動不足解消ための外に出てウォーキング・・・近くの近郊鉄道の駅と駅の間、片道は電車に乗って。
今日は秩父鉄道行田市駅から上熊谷駅まで全10㎞。ついでに街歩きや駅鉄撮り。

行田市で見たチョッとレトロな昭和の感じの建物・・・現武蔵野銀行行田支店・・・むかしの忍貯金銀行・・・

国登録有形文化財・・・1934年忍貯金銀行として竣工、1944年行田足袋販売株式会社に売却、1969年武蔵野銀行行田支店に。
※撮影日は4月10日。

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2020年12月・・・浅間北麓・・嬬恋で・・・ヤマトタケルの「あゝワガ嬬よ」伝説を思った

2021-01-27 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・きょう来た道を逆戻りです。
ふたたびのつまごい浅間パノラマライン南ルート・・・嬬恋村大前あたり・・・

ヤマトタケル伝説から生まれたロマンの村・・・嬬恋・・・
日本書紀によれば・・・古代第12代景行天皇の皇子ヤマトタケルが東国遠征の帰り、碓日嶺(古事記では足柄嶺)のあたりで東国をかえりみて、かつて海に身を投じて嵐を鎮めた妻のオトタチバナのことを思い「あゝわが嬬よ」と三度嘆いたという。碓日嶺はここからほど近い鳥居峠という(軽井沢の碓氷峠、古事記の足柄山と合わせる3つの説があり定説がない)。
現在の このあたりの地名、吾妻郡、東吾妻町、嬬恋村はこの伝説から生まれたソウダ・・・ロマンだなあ~・・・


噴煙が微かに・・・
※撮影日は2020年12月10日。
ヤマトタケルの伝説・・を伝える古事記、日本書紀・・・いまでは藤原一族の歴史の捏造というのが定説であるから・・・真実は謎である。
アズマ・・・東の方角、接頭語「あ」に「ツマ・・・端」をつけて、ドンヅマリというという説もあるがそれをいっちゃ~ロマンがない。
鳥居峠への道…上信国境、湯の丸山と四阿山の間、標高約1360m、信州からは上州街道、上州からは信州街道、上田街道、仁礼街道、中間点に大笹関所があることから大笹街道とも呼ばれた。関東から善光寺への道は中山道、北國街道がメインであるが群馬八幡から大戸関、大前、大笹、鳥居峠、菅平口から須坂へ、上田へと別れる道がバイパスであり近道であった。



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2020年冬・・・かつての吾妻渓谷・川原湯温泉の今の風景

2021-01-25 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・
群馬県嬬恋村田代古永井から嬬恋村道の広域農道浅間パノラマライン・・・を大笹まで。長野原町の市街地を過ぎると吾妻川を堰き止めた八ツ場ダム・・・あがつま湖のダムサイトへ。


川原湯温泉・・・かつては吾妻川の畔、鎌倉時代の1193年源頼朝が狩の婿に発見した伝えられる古湯・・・20数軒がひしめいていました。いまはあがつま湖の東に新しくボーリングした源泉をひいて6軒が営業を始めています。


※撮影日は2020年12月10日。

2010年7月に訪れたときの川原湯温泉駅の写真です。


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2020年冬・・・かつての吾妻渓谷・・・八ツ場ダムの風景

2021-01-24 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・
群馬県嬬恋村田代古永井から嬬恋村道の広域農道浅間パノラマライン・・・を大笹まで。長野原町の市街地を過ぎると吾妻川を堰き止めた八ツ場ダム・・・あがつま湖のダムサイトへ。

1952年計画、2015年着工、2020年3月竣工の八ツ場ダム・・・です。

八ツ場ダム堰堤・・・堤高116m、堤頂長290.8m。堰堤の上の越流部・・・非常用洪水吐四門。



堰堤の下は工事中ですが発電所のようです。吾妻峡、旧JR吾妻線、旧国道145号線が見えます。

行き止まりになった・・・旧国道145号線は遊歩道に、旧JR吾妻線は自転車トロッコ線路に。


※撮影日は2020年12月10日。
八つ場ダム・・・戦後間もない1947年カスリン(キャサリン)台風の大洪水で東京下町一帯が未曽有の被害を受け、1952年利根川水系に10箇所のダム計画がされました。八つ場ダムは9番目のダム(沼田ダムは中止)。強酸性の水質のため工事対策、名湯川原湯温泉、名勝吾妻渓谷のため反対運動、長い交渉期間をへて1992年協定締結、2001年保障基準ができて妥結します。計画から竣工まで69年です。

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2020年冬・・・かつての吾妻渓谷・・・八ツ場ダム・・・あがつま湖・・・湖畔の風景

2021-01-23 | 道をゆく 関東
信州上田の・・・六文銭の写真帳

12月10日・・・上田市から鳥居峠を超えて群馬県長野原町川原湯の八ツ場ダムまでプチドライブ・・・
群馬県嬬恋村田代古永井から嬬恋村道の広域農道浅間パノラマライン・・・を大笹まで。長野原町の市街地を過ぎると吾妻川を堰き止めた八ツ場ダム・・・あがつま湖のダムサイトへ。

新国道145号線久森(くもり)トンネル・・・不動大橋から。

八ツ場 林ふるさと公園・・・不動大橋から・・・は集落の名前、公園の上にはやんば天明泥流ミュージアム

八ツ場 湖(みず)の駅「丸岩・・・外観は旧長野原町役場庁舎を復元・・・丸岩大橋の右岸袂。 

丸岩(1124m)・・・丸岩大橋から。・・・三方が100m余の断崖で囲まれている。あがつま湖のシンボル、戦国時代の山城、登山口から20分。

あがつま湖畔・・・丸岩大橋から。
※撮影日は2020年12月10日。


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