比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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南九州日向の旅・・・神話のふるさと・・・天照大御神が隠れたという天岩戸神社

2019-10-22 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。

宮崎県西臼杵郡高千穂町・・・古事記、日本書紀に書かれた天照大御神天岩戸の中に隠れたという伝説の地、天孫ニニギがこの地に降りたという天孫降臨伝説の地。

天岩戸伝説の天岩戸神社西宮・・・大鳥居。

天岩戸神社西宮・・・神楽殿・・・

天岩戸神社西宮拝殿・・・本殿はこの奥にある天岩戸・・・

西宮から岩戸川を遡って500m・・・天安河原・・・

天照大御神が岩戸に隠れたとき八百万の神々が「どうしたらよかろう・・・」と対策を練ったという会議の場・・・
迎慕ヶ窟(ギョウボガイワヤ)・・・間口40m、奥行き30mの洞窟。

天安河原宮が祀られています。
あたり一面・・・小さなケルン(積石)・・・いつの間にかパワースポットになった?
※撮、影日は7月16日。
天岩戸伝説・・・古事記、日本書紀に記述されたお話し。むかしむかし高天原というところに天照大御神という神様を中心に八百万の神様たちが棲んでいた。その中に天照大御神の弟でスサノオノ命というグレた男がいて数々の乱暴狼藉を重ねていた。このことに悩んだ天照大御神はある日突然に洞窟の中にトジコモリ岩戸を閉めてしまった。天照すというぐらいだからこの人がいないとあたりは真っ暗。困った神々たちは天安河原に集まり案を練り、洞窟の前で大宴会をしてアメノウズメが裸踊り、好奇心に駆られ何事かと天照大御神がそっと岩戸を開け覗き見をした瞬間、タジカラオノ命という怪力無双の男が岩戸を押し開け、天照を外に連れ出したという。
何だかよくワカラない話である、そのごスサノオノ命は出雲の国へ追放されたという。
天岩戸・・・日本中に10数か所ある❓


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南九州日向の旅・・・高千穂峡・・・阿蘇の火山活動が造った自然の造形

2019-09-24 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。
旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。

宮崎市から延岡まで南九州自動車道、延岡から五ヶ瀬川に沿って国道218号線・・・宮崎県西臼杵郡高千穂町へ。135㎞、約2時間。

国の名勝、天然記念物・・・「高千穂峡」・・・です。

槍飛橋・・・

真名井の滝・・・日本の滝100選・・・

遊歩道・・・

むかしむかし阿蘇山の噴火で流れた火砕流の堆積が冷えて固まり溶解凝灰岩の柱状節理の断崖に。高さ平均80mのY字谷が7㎞ほど続く。


※撮影日は7月16日。


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南九州日向の旅・・・宮崎県庁・・・日本で4番目に古い県庁舎

2019-09-23 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南市油津、宮浦の鵜戸神社、モアイ像、そして宮崎市へ。
旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。

国指定有形文化財・・・宮崎県庁舎・・・1932年に二代目庁舎として建てられました。今では日本で4番目に古いのだそうです。






※撮影日は7月16日。


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南九州日向の旅・・・青島・・・青島神社・・・鬼の洗濯板

2019-09-21 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南市油津、宮浦の鵜戸神社、モアイ像、そして宮崎市へ。
宮崎市青島・・・日向灘に面した周囲860m、4.4㌶の島、島全体が青島神社の境内です。

青島海岸から青島に渡る弥生橋です。

陸と島を繋ぐ浜は「鬼の洗濯板」といわれる砂岩と泥岩の重なった地層が隆起して海食によってできた自然小芸術。国の天然記念物。

島全体が境内、亜熱帯植物群落は国の天然記念物。

古くは一般人出入り禁止であり、明治期に入り参拝が許されるように。

拝殿正面。切妻平入造り。

元宮。本来の宮です。
※撮影日は7月15日。
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南九州日南の旅・・・日向灘に面した・・・南太平洋のモアイ像・・・「日南サンメッセ」

2019-09-20 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南市飫肥へ。
飫肥から国道220号線を太平洋に面した日南市宮浦の鵜戸神宮へ、さらに2kmばかり北に進むと「日南サンメッセ」・・・

日南サンメッセ」・・・南太平洋イースター島の謎の石像群・・・「モアイ像」・・・その実物が7体(レプリカではありません)。
1992年から3年に渉りイースター島のモアイ像の修復に従事した日本チームの奉仕に対して島民、長老会が感謝の印に日本に7体のモアイ像を寄贈してくれたもの。
世界で唯一の海外持ち出しだそうだ。
1体の高さ5.5m、18~20㌧。


イースター島(英語名)・・・チリ領、南太平洋の火山島、周囲60㎞(利尻島ぐらい)。スペイン語名パスクワ島、現地語ラバヌイ。1722年復活祭の日にオランダ海軍が上陸したことからイースター島という英語名が。最初の島民はポリネシア人が5世紀から8世紀に入植したという説のほかいろいろな説がある。

モアイ像・・・入植したポリネシア人が7~8世紀ごろ石の祭壇を築きはじめ10世紀ごろよりモアイ像を作り始めたという。軟らかい凝灰岩に玄武岩の石斧で掘ったもの。現在でも製作半ばのモアイ、石斧が散乱しているといいう。


ラバヌイの人々は何を思いモアイ造りをしたのであろうか・・・ここにラバヌイ人の先祖の魂が宿るモアイがあることを・・・???

※撮影日は7月15日。


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南九州日南の旅・・・日向灘に面した断崖絶壁に鎮座・・・鵜戸神宮

2019-09-19 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南へ。
日南市油津。かつての飫肥杉の搬出港、東洋一のマグロ港として栄えた港町。
日南市宮浦・・・日向灘に面した絶壁の中腹に鎮座する・・・鵜戸神宮・・・にやってきました。
戦前の神社の格式で「官幣大社」・・・だそうです。

大鳥居を潜ります。

随神門・・・

楼門・・・

神橋(玉橋)・・・

長い石段を下って本殿へ洞窟の中の本殿へ・・・「下り宮」を呼ばれています。

本殿は拝殿、幣殿、本殿が一体となった権現造…洞窟の中は東西38m、南北29m、高さ8.5m。


※撮影日は7月15日。
※撮影日は7月15日。
鵜戸神宮・・・鵜戸は「空」(うつ)の表音文字、「うろ」を表している。創建は古代古墳時代の崇神天皇の時代、海洋信仰から、6世紀末の推古天皇の時代に岩窟内に社殿が造られたという。782年天台宗の僧により修験道場の別当寺院として再建、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺と称す。1560年飫肥藩伊東氏により社殿再興、1631年造替、1641年修復、1711年造替、1770年修復、1868年₍明治元年₎神仏判然令により1869年鵜戸神社に、1874年鵜戸神宮に。1889年社殿改修、1968年修復、1996年修復。

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南九州日南の旅・・・日南市・・・歴史的土木遺構・・・飫肥杉搬出のための・・・堀川運河を見る

2019-09-16 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南へ。
日南市油津にやってきました。かつての飫肥杉の搬出港、東洋一のマグロ港として栄えた港町。

江戸時代の前期1684~1686年に日向国飫肥藩が開削した歴史的土木遺構・・・堀川運河です。
★江戸時代、飫肥藩伊東家が植林、育成に努めた飫肥杉、広渡川河口から大櫛鼻をまわって海上5㎞を油津港に輸送していたが外洋(日向灘)に出るため海難被害も多く、大櫛鼻の付け根を油津港に通じる運河を開削した。全長1.5㎞弱(そのご埋めたてられたりして1㎞弱に)。明治期にはいり鉄道網の発達のため運河の役目が終わり衰退、1980年代ごろより観光資源として復活、整備されている。


堀川資料館・・・

石造アーチ橋「堀川橋」・・・国の有形文化財。
★江戸時代、木造板橋があったが明治期に1903年永久橋として架橋、地面より3mかさ上げ、そのため周辺家庭の出入り口は二階になった。

大正年間に材木商の倉庫として建てられた3階建ての赤レンガ館、現在はコミュニティー施設。
1913年官営鉄道(現JR日南線)ができるまでは流通の中心として運河周辺が栄え、いまも歴史的景観が偲ばれます。

運河はやがて油津港に・・・

油津港の風景・・・後方の山は大櫛鼻(岬)・・・広渡川の河口からこの岬をまわって油津港に入るのは海上5㎞を要した。
※撮影日は7月14日。

飫肥杉・・・九州日南飫肥地方広渡川流域に育つ杉、南方に育つため生育が早く巨木になり樹脂分が多いため吸水性が低く船材として使われた。現在は住宅材として。
飫肥藩伊東家・・・鎌倉時代から地頭として飫肥地方に。戦国時代を潜り抜け江戸時代も飫肥地方50000石の大名に。藩の財源として杉の植林育成に努めた。住民との「二部一山の法(一公一民)」」、「三部一山の法(一公二民)」の思想は明治期にはいり国の国有林管理の思想に盛り込まれた。


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南九州日向の旅・・・都井岬で・・・天然記念物の野生馬「御崎馬」を見た

2019-09-14 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県志布志から県境を超えて宮崎県串間市の都井岬へ・・・御崎馬を身に。
都井岬・・・志布志湾の東端、日向灘の南端、太平洋に突き出した断崖絶壁の岬。山稜の上は牧地になっていて天然記念物の野生馬「御崎馬」が生息している。
御崎馬・・・江戸時代の1697年に高鍋藩が軍馬育成のために放牧したもの、明治に入り1874年藩営牧場から共同牧場に払い下げられ運営。体高130㎝、体重300㎏、モウコ馬系の在来種、軍国時代に洋種系の種馬が導入され大型馬の育成につとめた時期もあったが、そのご在来種として維持されるようになり1953年天然記念物に指定された。むかしから飼を与えない完全天然放牧。







頭が大きく、足先が黒いのが特徴。



天気が良ければ太平洋に突き出した都井岬の草原に遊ぶ御崎馬が見られたのですが。
※撮影日は7月14日。


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南九州の旅…大隅半島・・志布志港…サンフラワー号の風景

2019-09-09 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の4日目は大隅半島の付け根、東の端、太平洋側の志布志湾の中・・・志布志市へ。
志布志・・・鎌倉時代の文献に志布志の地名由来として、天智天皇がこの地を巡幸した折に土地の有力者の妻と侍女が布を献納したと伝えられ・・・上のものと下のものが布を献納したことにちなんで「志布志」という地名に・・・ということだそうです。天智天皇とは7世紀の大和王朝38代の天皇、古い時代から栄えた地のようです。江戸時代には薩摩藩の外城。地の利から海上交易の中心となり志布志千軒といわれるほど栄えました。明治時代に入って衰退、日露戦争後の1904年ごろから海軍の船舶が寄港するようになり港湾設備の計画が起こり1913年志布志町に、1919年から港湾整備測量が開始。1919年築港起工式、1925年に国鉄日南線、志布志線開業、1931年志布志港完成、1935年大隅線開業。交通の要衝に。1969年国の重要港湾指定、2000年国の中核国際港湾指定。2006年市制に、人口29900人。苺、メロンなどの農業、牛、豚の畜産」、ウナギの養殖、水産業など、

フェリーさんふらわー号きりしま・・・南九州航路(大阪~志布志)が入港していました。




※撮影日は7月14日。

さんふらわ- きりしま・・・2018年8月28日竣工、9月15日就航。13659㌧、全長192m、幅27.0m、速力23ノット/h(42km)。旅客定員709名。車両積載数:大型トラック121台・乗用車140台。

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南九州の旅・・・九州最南端・・・北緯30度59分の・・・佐多岬

2019-09-04 | 道を行く 九州の諸道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳
南九州の旅・・・旅の3日目は鹿児島港鴨池フェリーターミナルから錦江湾を渡って大隅半島垂水市(たるみず)に。
大隅半島の先端、鹿児島県肝属郡大隅町・・・九州最南端の佐多岬にやってきました。本土最南端という表記ですが九州最南端と呼んだ方が。

九州最南端の岬「佐多岬」・・・ガジュマルの木・・・かな?

北緯31度(30度59分)・・・



佐多岬灯台・・・1871年建設、初点灯、1945年太平洋戦争で米軍攻撃により破壊、1950年再建。1952年電化、1985年無人化。


沖合を進む鹿児島~種子島フェリー「RORO新さつま」・・・
共同運輸㈱、2557㌧、19.7ノット/h(約36㎞)、1車輛1運転手のみ乗船可の完全貨物フェリー。
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※撮影日は7月13日。


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