比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

南九州阿蘇山麓の旅・・・南阿蘇鉄道・・・中松駅

2019-10-25 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。延岡市から五ヶ瀬川を遡って宮崎県西臼杵郡高千穂町へ・・・
旅の最後は日向高千穂から国道325号線を約35km、県境を越えて熊本県阿蘇郡高森町へ、そして南阿蘇村へ。

南阿蘇鉄道「中松駅」(1日の乗降客数29人、2015年調)。無人駅。1987年新駅舎建造。

2016年の熊本大地震の被害により現在は高森駅=中松駅間が運行中、全線開通は2022年予定。

2面2線のホーム、南阿蘇鉄道立野、高森駅17.7kmの中間点にあたり、列車交換設備駅。


※撮影日は7月17日。
参考》観光トロッコ列車「ゆうすげ号」・・・(写真はWikipediaより)
★3月~12月、土曜、日曜、祭日、GW、夏休み期間のみ、予約のみ運行。

南阿蘇村・・・阿蘇巨大カルデラ内の南に位置して南郷谷と呼ばれる地方。人口10320人(2019年)、熊本県の場合は村から町に公共団体名を変えられるのは5000人以上ですが、あえて「村」のままです。「村」を公共団体名に選んだ理由は・・・調べてみたら・・・自然のままに・・・清々しい理由でした。

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南九州阿蘇山麓の旅・・・南阿蘇鉄道・・・巨大カルデラ内の・・・高森駅

2019-10-24 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。延岡市から五ヶ瀬川を遡って宮崎県西臼杵郡高千穂町へ・・・
旅の最後は日向高千穂から国道325号線を約35km、県境を越えて熊本県阿蘇郡高森町へ。

南阿蘇鉄道「高森駅」(1日の乗降客数422人,2015年調)。南阿蘇鉄道唯一の有人駅。駅舎は1987年建造。

2016年4月熊本大地震で橋梁、トンネルが被害、運行停止、2016年7月高森駅~中松駅の間で運行再開。2022年全線運行再開予定。

MT2000形。

MT3000形。

高森駅に静態保存されている・・・蒸気機関車C12-241・・・
※撮影日は7月17日。
高森町・・・熊本県阿蘇郡、阿蘇山の内輪山と外輪山の間の巨大なカルデラ内の南東に位置する南郷谷と呼ばれる地区。人口5895人、主なる産業は農業、畜産、花卉、イチゴ、林業など。
南阿蘇鉄道・・・1928年国鉄豊肥本線立野駅から高森町までを国鉄宮地線(のち高森線)として開業。1981年廃線が確定したが1986年第三セクター南阿蘇鉄道として存続。延長17.7㎞。
未完の九州横断鉄道高森トンネル・・・国鉄時代の1973年高森駅と高千穂線高千穂駅(7.1㎞)を結ぶ九州横断鉄道建設のため高森トンネル(2㎞)の工事が開始されたが、夥しい異常出水のため工事は中断し凍結、中止された。現在は高森トンネル湧水公園として開園。


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南九州日向の旅・・・今は廃線の旧高千穂鉄道・・・廃駅の天岩戸駅

2019-10-22 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。
1972年開業の旧国鉄高千穂線、1989年から旧第三セクター高千穂鉄道に、2005年台風による水害で大半の線路の道床、路盤、橋梁の流失。復旧の目途がつかないまま運行停止に、2008年第3セクター高千穂鉄道は廃業、廃線。

今は廃駅となった「天岩戸駅」・・・神話の神々が宿る天岩戸神社の最寄り駅だった(約5km)。



無人駅でした。時刻表、運賃表がそのまま残してあります。2003年の1日の乗客数は3人。


※撮、影日は7月16日。
 

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南九州日向の旅・・・廃線となったJR旧高千穂鉄道・・・今は高千穂あまてらす鉄道

2019-10-21 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。
国鉄高千穂線、旧第三セクター高千穂鉄道(延岡~高千穂駅50㎞)、現高千穂あまてらす鉄道高千穂駅」です。
旧国鉄1988年、JR1989年から第三セクタ^高千穂鉄道に、2005年台風による水害で大半の線路の道床、路盤、橋梁の流失。復旧の目途がつかないまま2008年廃線、2009年廃業、2006年「神話高千穂線トロッコ鉄道」として観光スーパーカート(遊具)の運行計画が起こり2008年「高千穂あまてらす鉄道」に商号変更。

高千穂駅・・・旧国鉄高千穂線の終着駅として1972年開業、現高千穂あまてらす鉄道高千穂駅」。

スーパーカートの出発です。天岩戸駅の向こうの高千穂橋梁を渡って往復する5.1㎞の運行です。

高千穂橋梁の上、シャボン玉を飛ばします。

岩戸川渓谷にシャボン玉が飛ぶ・・・

五ヶ瀬川水系岩戸川の上に架かる高千穂橋梁、1972年架橋、1972年運用開始、V字型の鉄骨(ワーレントラス構造)。

高千穂橋梁・・・高さ105m(かつては鉄道橋として日本一だった)、長さ353m。
※撮影日は7月16日。


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南九州日向の旅・・・今は廃線となった旧高千穂鉄道・・・高千穂駅

2019-09-25 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅薩摩半島、半島から宮崎県日南市、宮崎市。
旅の最後は宮崎市から高千穂峡、阿蘇を超えて熊本に出て終わりです。

国鉄高千穂線、旧第三セクター高千穂鉄道(延岡~高千穂駅50㎞)、現高千穂あまてらす鉄道高千穂駅」です。

旧国鉄1988年、JR1989年から第三セクタ^高千穂鉄道に、2005年台風による水害で大半の線路の道床、路盤、橋梁の流失。復旧の目途がつかないまま2008年廃線、2009年廃業、観光スーパーカートの運行「高千穂あまてらす鉄道」に。

高千穂駅・・・旧国鉄高千穂線の終着駅として1972年開業、1日の乗客数220人(2003年)2008年廃駅。
現高千穂あまてらす鉄道「高千穂駅」。

島式ホーム1面2線、駅舎から構内踏切で渡る。

高千穂あまてらす鉄道のスーパーカート。高千穂駅~高千穂鉄橋 約5.1kmを観光向け保存鉄道として運行中。

旧高千穂鉄道時代の車庫です。

旧高千穂鉄道時代の・・・TR101,202の動態保存。
※撮影日は7月16日。


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南九州日南の旅・・・JR日南線油津駅(あぶらつえき)・・・愛称「カープ油津駅」

2019-09-18 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

梅雨どきですが南九州の旅・・・鹿児島県大隅半島から太平洋岸を宮崎県日南へ。
日南市油津。かつての飫肥杉の搬出港、東洋一のマグロ港として栄えた港町。
JR日南線「油津駅にやってきました。
志布志線終着駅として1937年開業。1963年日南線に。
駅舎内に日南市観光協会、観光案内所、駅業務は観光案内所に委託。1日の乗客数148人。

2018年2月駅舎をプロ野球球団「広島東洋カープ」の球団色に塗り替え「カープ油津駅」の愛称に。

日南市が広島東洋カープのキャンプ地であることから地元ファンの提案により「カープ油津駅」の愛称に。



島式ホーム1面2線、駅舎から構内踏切で渡る。


※撮影日は7月14日。


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南九州の旅・・・大隅半島東端・・・日豊本線の終着駅・・・志布志駅

2019-09-10 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の4日目は大隅半島の付け根、東の端、太平洋側の志布志湾の中・・・志布志市へ。
志布志・・・鎌倉時代の文献に志布志の地名由来として、天智天皇がこの地を巡幸した折に土地の有力者の妻と侍女が布を献納したと伝えられ・・・上のものと下のものが布を献納したことにちなんで「志布志」という地名に・・・ということだそうです。天智天皇とは7世紀の大和王朝38代の天皇、古い時代から栄えた地のようです。江戸時代には薩摩藩の外城。地の利から海上交易(幕府非公認の密貿易)の中心となり志布志千軒といわれるほど栄えました。明治時代に入って衰退、日露戦争後の1904年ごろから海軍の船舶が寄港するようになり港湾設備の計画が起こり1919年から港湾整備測量が開始。1919年築港起工式、1925年に国鉄日南線、志布志線開業、1931年志布志港完成、1935年大隅線開業。交通の要衝に。苺、メロンなどの農業、牛、豚の畜産」、ウナギの養殖、水産業などが主力産業。

JR日南線の終着駅「志布志駅」1925年開業、1日の乗客数7人、無人駅。
現在の駅舎は1990年、元の駅舎から100m離れた場所に移動して新築したもの。
かつては国鉄志布志線(1925~1987年)、国鉄大隅線(1935~1987年)が運行。

JR日南線・・・南宮崎駅~志布志駅(88.9㎞)の終点です。単式ホーム1線路、砂利が積上げられている場所がレールの終点です。
3路線が乗り入れる鉄道の要衝であったため、いまなお引き込み線4本があります。

キハ40系・・・

駅名標・・・

3路線の乗入れる国鉄時代、機関区、車掌区、保線区が置かれ、まさに鉄道の町。港湾の町、物流の中心でした
※撮影日は7月14日。


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南九州の旅・・・南薩摩・・・鹿屋市鉄道記念館その終章・・・さようなら国鉄大隅線1987年3月13日

2019-09-06 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の3日目は鹿児島港鴨池フェリーターミナルから錦江湾を渡って大隅半島へ。

かつての国鉄大隅線「鹿屋驛」にやってきました・・・いまは「鹿屋市鉄道記念館」です。

鹿屋駅・・・1915年南薩軽便鉄道の駅として開業、1936年国鉄大隅線。1987年廃線とともに廃駅に。1988年跡地に「鹿屋市鉄道記念館」開館。2016年駅舎改装。
国鉄大隅線・・・かつてに国鉄、現在のJR日豊本線「国分駅」から大隅半島の鹿児島湾側を南下して「垂水駅」「鹿屋駅」、太平洋側に出てJR日南線「志布志駅」まで98㎞。1915年地方鉄道として開業、延伸を重ねて全線開通したのは1972年。1987年廃線


駅舎内に・・・時刻表、乗車料金、急行料金などの料金、手小荷物運賃などの料金表・・・

列車の側面のホウロウびきのプレート・・・

駅壁面の時計・・・

大隅線廃線の日の最後の列車につけられたエンブレム・・・

さようなら大隅線」昭和62年3月13日・・・
※撮影日は7月13日。

★廃線になったのは国鉄からJRに移管した1987年。廃線後は国鉄バス→JRバスに代替運行する措置、そのご鹿児島交通、大隅交通に引き継がれ採算性から撤退。どうなっているだろう。テレビで「路線バスの旅」なんて番組が放映されているが、全国でこんな問題が起きている。

※コメント欄オープン。

南九州の旅・・・南薩摩・・・鹿屋市鉄道記念館その③・・・「フルムーン」など懐かしの中吊りポスター

2019-09-06 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の3日目は鹿児島港鴨池フェリーターミナルから錦江湾を渡って大隅半島へ。

かつての国鉄大隅線「鹿屋驛」にやってきました・・・いまは「鹿屋市鉄道記念館」です。

鹿屋駅・・・1915年南薩軽便鉄道の駅として開業、1936年国鉄大隅線。1987年廃線とともに廃駅に。1988年跡地に「鹿屋市鉄道記念館」開館。2016年駅舎改装。
国鉄大隅線・・・かつてに国鉄、現在のJR日豊本線「国分駅」から大隅半島の鹿児島湾側を南下して「垂水駅」「鹿屋駅」、太平洋側に出てJR日南線「志布志駅」まで98㎞。1915年地方鉄道として開業、延伸を重ねて全線開通したのは1972年。1987年廃線


国鉄時代の懐かしいキャンペーンポスターです

フルムーン・・・国鉄時代の1981年に開始した熟年夫婦向けの特別企画乗車券・・・JRで今も続いている。

国鉄時代の1971年デスティネーション(目的地)キャンペーンシリーズ「京の冬の旅」・・・JR「そうだ京都に行こう」に続いている。

ジパング倶楽部・・・いまもJRで行っている会員組織。

青春18きっぷ・・・国鉄時代の1982年発売を開始。現在もJRで続いている。

Tokyo on Stage・・・上野駅をバックに素晴らしいポスターですが検索で情報が出てきません


わたしはほとんど記憶にありませんが・・・なぜか・・・昭和の香りがするポスターです。
※撮影日は7月13日。


※コメント欄OPEN。

南九州の旅・・・南薩摩大隅・・・鹿屋市鉄道記念館その②・・・駅構内木製の駅名標

2019-09-05 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の3日目は鹿児島港鴨池フェリーターミナルから錦江湾を渡って大隅半島へ。

かつての国鉄大隅線「鹿屋驛」にやってきました・・・いまは「鹿屋市鉄道記念館」です。

鹿屋駅・・・1915年南薩軽便鉄道の駅として開業、1936年国鉄大隅線。1987年廃線とともに廃駅に。1988年跡地に「鹿屋市鉄道記念館」開館。2016年駅舎改装。
国鉄大隅線・・・かつてに国鉄、現在のJR日豊本線「国分駅」から大隅半島の鹿児島湾側を南下して「垂水駅」「鹿屋駅」、太平洋側に出てJR日南線「志布志駅」まで98㎞。1915年地方鉄道として開業、延伸を重ねて全線開通したのは1972年。1987年廃線


駅名標です・・・ここでは「駅」は現代漢字になっています。


構内の木製駅名標です・・・鹿屋駅以外の駅名標も保存しています。




※撮影日は7月13日。
鹿屋市・・・人口101000人、鹿児島市、霧島市に次いで3番目の大都市。大隅半島の中心部に位置し国の行政機関、県の行政機関、企業の支社、営業所など、出先機関が所在。緩やかなシラス台地、肝属川の沖積平野(肝属平野)が広がり農業、畜産が盛ん。錦江湾岸のカンパチの養殖、水揚げ量は全国で2位。
1936年大日本帝国海軍の航空隊が設置され、1941年5月27日(海軍記念日)に市制施行。太平洋戦争はじめの真珠湾攻撃の訓練基地に、大戦末期は特攻隊の最前線基地に。現在も海上自衛隊の航空基地が置かれ軍都の雰囲気が色濃い。

※コメント欄OPEN