比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

初夏の信州塩田平・・・戦没画学生慰霊美術館「無言館」と102歳の画家野見山暁冶

2022-06-08 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
信州上田の・・・六文銭の写真帳

5月14日、藤の花の花見に近辺の散歩。
上田市前山・・・独鈷山中腹の林道・・・標高660mにある塩田平パノラマ展望台から。

こんもりとした山は山王山。木が生い茂って見えませんが戦没画学生慰霊美術館無言館」はこの山の中に。

戦没画学生慰霊美術館「無言館
※撮影日は5月14日。
戦没画学生慰霊美術館「無言館」の誕生・・・1974年NHKで「祈りの画集」という番組を放映。1977年NHK出版から「祈りの画集 戦没画学生の記録」という画集を出版。取材にあたっていたのは洋画家の野見山暁冶ほか。野見山はあの戦争末期の画学生、応召の満州で病を得て帰国、敗戦。多くの画学生が戦争で帰らぬ人になったのを見ていました。信州上田で美術館「信濃デッサン館」を開いていた窪島誠一郎が画集の野見山の取材記を読んで感銘、1995年の「槐多忌」に野見山を講師に呼び、会食の際に「祈りの画集」の話題が出て、窪島は戦没画学生の慰霊美術館の設立を決意。野見山を口説いて、その年から戦没画学生の遺族を訪ねる旅が二人三脚ではじまります。野見山75歳、窪島54歳です。

以下は・・・2022年1月30日テレビ東京放映・・・日系スペシャル「野見山暁冶 私の履歴書」から・・・

戦没画学生の遺族を訪ね遺作をお預かりする旅は大変だったようです・・・詐欺のように見られたり。


帰るときに、玄関にみんなのオーバーコートを吊るしてありますね。
それを着せてくれたお母さんの手が、ずーっと背中を触ったきり離れないんですね。
あぁぁぁ」と思いました。
その一瞬で・・・「もうこれは僕がやるより手がないな」と。

苦労の末、1997年開館の運びに。資金は全国からの個人浄財により。土地は上田市が提供。




みんなね
親子、兄弟、友人、恋人、妻、子ども・・・ふるさと・・・
あぁ 絵というものはこんなものだ そのなかに感情を没入してる


」は画こうとする相手を 愛していなければ画けない・・・窪島誠一郎「私たちの無言館」より。


無言館・・・語ることのできない無言の絵にかわって、わたしたちが語るべきことはなんでしょうか。

野見山暁冶・・・1920年福岡県飯塚市に生まれる。洋画家、東京芸大教授、名誉教授。中学生のときから肺疾患、東京美術学校卒業、応召。満州に。肺疾患で入院、内地に送還され敗戦を迎えます。一緒にいた戦友はどうなったか。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと・・・その思いがきっかけとなり、当時の絵を志した画友たちの絵を捜し歩きます。

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信州上田・・・塩田平・・・戦没画学生慰霊美術館「無言館」・・・2021冬

2021-03-02 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館

信州上田の・・・六文銭の写真帳
信州上田・・・塩田平の丘の上に建つ戦没画学生慰霊美術館無言館」です。

自然石に彫った無言館の碑・・・



中庭にある「記憶のパレット」・・・ここに収蔵された画学生の名前を刻まれています。

柔らか冬の日差しが・・・

時の庫」・・・お預かりしている遺作、遺品を末永く保存、修復していくための施設です。

丘の上から・・・塩田平の風景・・・

「絵は」は画こうとする相手を・・・愛していなければ画けません・・・窪島誠一郎著「私たちの無言館」(アリス館 2012年刊)

語ることのできない無言の人たちにかわって、わたしたちが語るべきことは。
※撮影日は1月2日。

無言館・・・フトしたことから村山槐多の絵に魅せられた窪島誠一郎さんという人が上田市の郊外の前山寺に信濃デッサン館を開館することから始まります。その後、戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり無言館を開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの絵を捜し歩きます。窪島さんと二人三脚です。いまも窪島誠一郎さんは蒐集(お預かり)を続けておられるようです。

いつの日か・・・おとずれてほしい・・・


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戦没画学生慰霊美術館「無言館」・・・静かにそっと訪れてほしい

2021-01-20 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館

ネット販売の時代になってきつつあるようです。家ではそれなりの生活をしているため、ブランド、三ツ星、一流といわれるのには無縁、日常の買い物は新聞折り込みチラシに目を光らせ日替わりでスーパーの梯子、たまに業スー、洋品は「しまむら」などの大衆路線、リサイクルショップなど、たまには通信販売で家庭用品、洋品、お茶などを利用しています。人並にネット販売も利用。書籍、古本、カメラの中古、電化製品の小物などが便利です。

最近送られてきた「通販生活」という通販雑誌です(たまに利用しています)。サムネイル(親指の爪大)の写真をクリックしてみてください。表紙に「私はあなたの意見には反対だけど。・・・」という文章が・・・この会社のコンセプト(基本的な考え方)でしょうか。カタカナ語はこの本の閉じ込み付録のカタカナ語辞典から。読み進めると・・・シリーズ戦争を忘れない・・・という企画の第3回でノンフィクション小説「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道」の著者梯久美子さんが訪れた信州上田の「無言館」の記事が。

信州上田・・・塩田平の丘の上に建つ戦没画学生慰霊美術館無言館」・・・塩田平はわたしの家内のふるさと、2006年ブログをはじめてからカテゴリーにして14編、思い入れの深いテーマです。1997年開館、今年で24年、館主の窪島誠一郎さんも79歳。画像をデータベース化することも考えられているそうです。
通販生活」の記事を(無許可ながら)コピーしました。ひとつひとつの絵が思い出されます。最後のページの恋人をモデルにして描いた未完の裸婦像・・・生きて帰って抱きたかった・・・そんな思いがヒシヒシと伝わってきます。クヤシサがこみ上げてきます。
★3枚の画像をそれぞれクリックすると文が読める程度に出てきます。






★コロナ禍でいま大変なときです。終息したら静かにソット訪れてほしい。

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信州塩田平・・・2016無言館・・・祈りの灯

2016-08-16 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
☆「無言館」だけ見たいかたは・・・クリック

2016年8月14日夕刻、信州塩田平の独鈷山の麓、無言館の丘に立ちました。

無言館・・・戦没画学生慰霊美術館・・・先の大戦で亡くなられた画学生たちの遺作・・・絵描きのもう一つの命がここにあります。
いまは「お盆」・・・彼らの霊はもう一つの自分()と向き合ってるのでしょうか。


無言にて 「帰国」の画家の 筆供養

生きたくても生きられなかった」彼らのために、「ふたたび犠牲者を出さないように」・・・それが私たちのつとめです。

・・・8月14・15・16日の夕暮れ・・・おとずれた人の手でロウソクに明りが灯されます。
※↑4枚の写真の撮影日は2016年8月14日。
「祈り」
※↑1枚の写真の撮影日は2010年8月15日。

2015年夏・・・無言館・・・無言の人々のために・・・わたしたちは無言でいいのだろうか

2015-08-16 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
☆「無言館」だけ見たいかたは・・・クリック

8月14日、信州の夏、暑い、上田市立図書館で涼みました。
ふと手にとった本が「わたしたちの無言館」・・・立ち読みですが感動しました。

窪島誠一郎著わたしたちの無言館」(アリス館 2012年刊)



多くの人にこの無言館に来てもらいたい。
そして・・・非命ニ斃レタル者・・・に思いを寄せてほしい。


「絵」は画こうとする相手を
愛していなければ画けません




語ることのできない無言の人たちにかわって、わたしたちが語るべきことは。


※菜花さんからトラックバックでいただいたブログです。
→クリックあの日、僕らは戦場で ~少年兵の告白~」 NHKスペシャル 2015.8.11 
この番組は、2015年8月20日(木)AM 1:30~(19日深夜) NHK総合で再放送予定です。録画して見ようと思っています。


2015年8月・・・信州上田・・・塩田平・・・盂蘭盆会・・・無言館

2015-08-16 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
2015年8月13日、迎え盆の夕、久しぶりの「無言館」へのお詣りです。

1997年開館した信州の鎌倉・塩田平を見下ろす小高い丘の上に建つ「戦没画学生慰霊美術館 無言館」です。

信州上田の塩田平の前山寺の傍らに1979年「信濃デッサン館」という美術館を1997年開館させた窪島誠一郎さんが、フトしたことから戦争中の上野美術学校に在籍した野見山暁冶さんとの出会いがあり「無言館」という美術館をを開館します。野見山さんは美術学校を卒業の後、満州に出征、病を得て送還されます。一緒にいた兵士はどうなったでしょうか。野見山さんは戦後、絵描きになった後にもそのことが負の遺産として残ります。仲間を見殺しにして敵前逃亡したのではないかと。そしてその思いがきっかけとなり当時の絵を志した画友たちの遺した絵を捜し歩きます・・・「遺された画集戦没画学生を訪ねる旅」(平凡社 2004年刊)にその事情が記されています。窪島さんと野見山さんの二人三脚の旅がはじまります。そうして集められた遺作の絵を展示するために作られたのが「無言館」です。


中庭にある「記憶のパレット」。
このモニュメントはここに収蔵された画学生の名前を刻んだものです。

2008年開館した無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」




無言にて 「帰国」の画家の 筆供養
妻の裸身 描きし画家の 魂・・・炎


上田少年少女合唱団・・・無言館の・・・「無言忌」で歌う

2015-07-03 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
     ・・・・・六文銭の写真帳・・・・・
※画像は信州の上田六文銭から提供されたものです。

上田市塩田平・・・無言館・・・いまから70年前に終わったあの戦争(太平洋戦争)で亡くなった画学生の遺作を集め慰霊するためにつくられた美術館です。
毎年6月のはじめに、その戦没画学生を慰霊する「無言忌」が行われます。
今年は6月7日、上田市少年少女合唱団上田グロリア合唱団といっしょにい歌を献じました。



館長の窪島誠一郎さんが作詞した画学生に贈る歌「あなたを知らない」(小山章三先生作曲)、
そして参列者の皆さんと一緒に「ふるさと」を歌った。





戦争の無い時代が70年続いています。この子たちの世代でも戦争の無い時代が続きますように

※歌われた「あなたを知らない」は1997年5月2日無言館開館の日に窪島誠一郎館主が館内の壁に掲げたメッセージ。


あなたを知らない

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色
あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ


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2011年8月15日・・・塩田平・・・無言館

2011-08-24 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
8月15日、長い1日でした。夕刻、信州塩田平の独鈷山の麓、無言館の丘に立ちました。

いまから66年前の8月15日、日本は太平洋戦争という大きなイクサで敗れました。
その戦場で亡くなった画学生の遺作を集め慰霊するためにつくられた美術館です。

無言館の裏手に壁のようにそそりたつ独鈷山です。

田舎のお盆です。お先祖様が家に帰っています。
お盆・・・戦場で亡くなった画学生たちの霊は懐かしい故郷の家に帰っているのでしょうか。

戦争は戦場・非戦闘区域で戦闘員だけでなく一般人も含めて大量の無辜の命を奪いました。
「いまの日本の平和は彼ら犠牲者のうえに成り立っている」なんて・・・
彼らだって愛する妻や子どもたちと平穏な一生を送りたかったはずです。
「生きたくても生きられなかった」彼らのために、「ふたたび犠牲者を出さないように」・・・それが私たちのつとめです。 


無言館の灯明・・・2010.年8月15日

2010-08-17 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
信州塩田平の8月15日・・・PM6:30・・・
無言館に登っていく丘の道から霧に包まれた夕暮れの独鈷山が・・・

畳づく 青垣、霧に 無言館

戦没画学生の慰霊美術館「無言館」
・・・8月14・15・16日の夕暮れ・・・おとずれた人の手でロウソクが灯されます。
   
無言にて 「帰国」の画家の 筆供養
妻の裸身 描きし画家の 魂・・・炎 


《夜間撮影》現代のデジカメには夜景モードという便利なものがあります。何も考えないでそれに任せたほうがいいようです。①はプログラムモード(夜景モードにするのを忘れた)F2.8,1/4秒 ②は夜景モード F6.3,6秒 ③も夜景モード F6.3,5秒・・・結果的にはプログラムモードも夜景モードも変わりませんね。
もちろん絞りもシャッター速度も器械まかせ。シャッタースピードが遅いので(わたしの場合は)三脚をしないとぜったいブレます。椅子みたいなのを借りてきてそれに押さえつけて固定してもいいです。
こうして撮った写真もかなり暗いです。パソコンの便利なソフトで少し明るくして見られるようにします。どのくらい明るくするかはそれぞれの好みです。

信州上田・・・塩田平の朝・・・無言館

2010-07-31 | 戦没画学生慰霊美術館 無言館
7月20日早朝、信州塩田平・・・戦没画学生慰霊美術館「無言館」のある丘の上を歩いています。

朝6時前、誰もいません。静かです。第二展示室「画布のドーム」の前、右に「絵筆の記念碑」
傷ついた画布」のドーム正面。
絵筆の記念碑」の正面。
裏面に書いてある言葉

「絵筆の記念碑」の上に真っ赤なペンキが塗られています。数年前、無言館の前の戦没画学生の名前が刻まれた慰霊碑「記憶のパレット」が何者かに赤いペンキで汚されるということがありました。
何のためにか・・・わかりません?・・・死者の墓銘碑を貶めることは、自分を貶めることです。
赤いペンキはこの事件を記憶にとどめるためにでしょうか。

毎年8月の14~16日・・・「千本の絵筆の筆供養」が行われます。
「無言館」の正面入り口。

8月の14~16日の5時から、無言館の周りを囲んで灯明が灯されます。



丘の上から塩田平が見える。

塩田平に来るとかならずここに寄っていきます。