小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

日本社会は安全であると云う陥穽:

2014年09月25日 | 社会戯評
日本社会は安全であると云う陥穽:
それにしても、国家の安全保障が叫ばれれば叫ばれるほど、その反面で、日常生活上での子供の安全とか、女性の一人歩きとか、生活弱者とか、逆に、様々な昨今の事件を考えると、心肌寒くなる。それにしても、外国の友人達は、異口同音に、日本社会は、夜遅くても、女性が1人で、歩いていても安全であるとか、云うので、最近では、私は、「決して、そんなことは無くて、殺人事件や誘拐も多くて、油断召されるな」式に応えることにしている。それにしても、毎回、子供の誘拐未遂や変質者による事件の度毎に、子供の安全とか、地域社会・ご近所の見守りとか、集団登下校の必要性とか、街中への監視カメラの増設とか、地域・共同社会による声かけ運動とか、様々な問題点・対策が指摘され、その都度、議論されるものの、根本的な決め手が見つからず、再び、痛ましい事件が繰り返されるのが、この社会の現実であろうか?監視カメラというと、すぐさま、個人のプライバシーとか、特高警察による監視という雰囲気からなのか、プライバシーの侵害など、反対論が巻き起こってしまう。しかしながら、もはや、今日、イギリスでの幼児による幼児殺害事件の犯人逮捕をみても、一定の犯人捜査には、人間の目よりも、今日の画像処理のような科学技術が優れていることは間違いなく、それで、子供達の命や安全が少しでも守られるのであれば、そうした措置を講じるべきではないかとも思われるが、、、、、。考えてみれば、宮崎某による猟奇的な連続幼女誘拐事件ではないが、そもそも、この社会から、こうした犯罪を根絶する事自体が、難しい以上、少なくとも、社会的な弱者を保護できうる最善の策を、講じるべきで、それこそが、大人の社会的な使命であると思っても不思議ではない。もう、声を掛けるだけでも、逆に、「変なおじさん」と誤解されるかも知れず、それこそ、犬でも連れ歩いていないと、誤解されてしまう、そういう時代なのかも知れない。何とも、情けない時代になってしまったものである。新聞などは、今日、何故こういう事件が生じたのかという背景は、一方的に、週刊誌に任せっきりで、事件報道という事実関係だけを伝えるだけで、根源に迫る報道は、一向に見られない。時と共に、事件は風化し、忘れ去られ、同じ哀しみが将来、再び、繰り返されるのでは、たまったモノではない。やはり、時々は、後ろを振り向きながら、歩く必要があろうか?困った社会になってしまったものである。これといった決め手がないのが、厄介であり、問題解決に至らないのが、現実である。