小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

NHK「老後破産」に考える:

2014年09月30日 | 映画・テレビ批評
NHK「老後破産」に考える:
何でも老人漂泊社会だそうである。既に、無縁社会とか、独居老人生活とか云う言葉で、これまで、表現されたりしてきたが、「老後破産」となると、もはや、心穏やかではない。考えてみれば、格差社会とか云われても、金持ちにも、貧乏人にも、万人に、等しく訪れるものは、「時間の経過による老い」であることは、事実であろう。一生懸命に、家族のために、或いは、自分の為に、働いてきたにも拘わらず、病気やら、伴侶の死や、或いは、子供の死を契機として、年金だけでは暮らして行けない、しかも、自宅や田畑を所有しているから、(そんなものは、一文の徳にも成りゃあしないにもかかわらず)生活保護すらも受けられないという何とも皮肉な状況が、現実化していると、、、、、、。医療・年金・住居のバランスが、著しく、崩れてしまったから、或いは、過去の制度の設計自体を支えていた社会や家族制度の背景が変容してしまい、当時の有り様とは、全く異なる社会環境が招来してしまったが故に、それらの矛盾が、弱者、とりわけ、年金生活に頼らざるを得ない単身の老人達に、そのしわ寄せが及んできていると、、、、。考えてみれば、これは、何も、日本に限ったことではなくて、北欧の高福祉を目指した先進国でも、或いは、急速な少子高齢化社会を間もなく迎えようとしている発展途上国でも、多かれ少なかれ、程度の差はあろうが、似たような状況を醸し出すことは、必至であろう。それにしても、これからの世の中は、「みんな余裕が持てないもの同士」が、支えてゆかねばならない社会なのであろうか?それとも、そんな余裕すらなくなってしまい、年寄りも若者も、等しく、みんな困窮して、漂泊してしまう社会になるのであろうか?異口同音に、「若い時には、こんなことになるとは、思ってもみなかった」と語っている。万人に、等しく、平等である、「時間の経過という老い」は、最近、余り耳にしなくなってしまった社会保障制度の課題を、改めて、問題提起していることは間違いないであろう。それにしても、毎日、温泉施設にやってきているお年寄り達は、一握りの恵まれた老人達なのであろうか?少々、考えさせられてしまう。それとも、来たるべき近未来の自分たちの現実、或いは、今は若者達の近未来の来たるべき現実なのであろうか?どうなのであろうか?