我らの健さんがとうとう逝ってしまった!:
「あなたへ」で、脇役として、競演していた俳優の大滝秀治が、亡くなったときに、高倉健が、同じ俳優として、生前に、役者の演技について、語った言葉が、今でも、脳裏に残る。後年の役者人生も、素晴らしいが、やはり、我々の世代、全共闘世代には、何と言っても、「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」、これであろう。学校帰りに、友人達と一緒に、銀座の場末の並木座に、30代の頃の健さんが、登場すると、客席から、すかさず、「ヨシ!」という掛け声がかかる。ポリ公ならぬ、敵役のヤクザの俳優がでようものなら、これ又、「ナンセンス!」とばかりに、まるで、銀幕の中の高倉健が演じきる役柄に、僕たち、若い観客は、自己投影したものである。橋本治が、駒場祭にイラストした、「とめてくれるな、おっ母さん、背中の銀杏が泣いている」というポスターにも、色濃く、反映されているように、当時のまさに、26年も経過した平成の世から、今にして思えば、昭和の香りが、残っていたのかも知れない。それにしても、何故、あんなに、尖っていた時代に、あれ程までのストイックな役柄を演じ切れたのであろうか?仮に、俳優にも、賞味期限があるとしたら、いや、人生にも、それなりの賞味期限があるとせば、若い時の短い、賞味期限である20代、30代の時には、肉体的も、鋭い眼光でも、あの短い刈り上げられた頭の形も、諸肌脱いで、唐獅子牡丹の入れ墨を見せながら、仁義を切ることも、その時の一瞬でしか、その時しか、出来ないことだったのかも知れない、改めて、もう一度、みたいものである。想い起こせば、映画を見終わった後で、鶴田浩二が、いつも、銀幕で、拳を握って、歩いていることに気付いて、外に出てからも、電車に乗ってからも、そう言えば、ある種の精神を持続するために、知らず知らずのうちに、拳を握って歩いている自分に、気付いて、笑ってしまったことを想い起こす。学歴に苦労した両親の世代から、期待されて学校に通ったものの、何か大きなエスタブリッシュメントに抗おうとする、孤高の世界の中で、高橋和己の「孤立無援の思想」の中で、尖った時代に、「内なるドス」を心の奥底に、きっと、若い観客は、一人一人が、そういう思いを持ちながら、きっと、「昭和残侠伝」を観ていたのであろうか?そんな僕たちも、高倉健のその後の俳優としての成功を追いながら、「不器用」な性格同様、いつしか、妻にも、家族にも、愛情表現がうまく出来ない男に、齢を重ねるに従って、なっていったのかも知れない。石原裕次郎のような「ジャックナイフ」とも一寸違って、「内なる心のドス」は、いつしか、錆びてしまったのか、或いは、妻や家族の愛の中で、溶けて融解してしまったのか、分からないが、あのドスのきいた声も、鋭い眼光も、齢を重ねるに従って、或いは、社会的な成功を収めるにつれて、消え失せてしまったのだろうか?銀幕の中の高倉健が演じきった様々なこうした人物像は、その後の様々な作品を観ても、それらの中に、しっかりと、燦然として、輝きを保っている。映画というものは、自分の中に在るある種の「心の有り様」を考えさせてくれる媒体で、それは、逆に、仮想の世界に、引き込まれてしまうモノではなくて、むしろ、逆に、「気付かせて貰う」ありがたいものであるのかも知れない。仮想の「生き方」を、俳優という商売は、演技を通じて、一人一人に、考えさせる職業なのかも知れない。今日、簡単に、歌手や、パフォーマーと称する者達が、いとも簡単に、ハードルが低くなった性なのか、どうかは分からぬが、俳優業に転向できるそういう、ある種の「器用さ」が、世の中に蔓延しているが、人を寄せ付けないような「孤高の不器用」というものも、確かに、演技として、演じきったことは、成る程、偉大なことであろう。仮に、今、「昭和残侠伝」をリメイク使用としたら、一体、どんな監督が、どんな無名の俳優を起用するのだろうか?どこかに、そういう若い俳優が息を潜めて、虎視眈々と狙っていることを、期待したものである。それとも、今日、そういうことは、受け入れられないという時代なのであろうか?
「あなたへ」で、脇役として、競演していた俳優の大滝秀治が、亡くなったときに、高倉健が、同じ俳優として、生前に、役者の演技について、語った言葉が、今でも、脳裏に残る。後年の役者人生も、素晴らしいが、やはり、我々の世代、全共闘世代には、何と言っても、「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」、これであろう。学校帰りに、友人達と一緒に、銀座の場末の並木座に、30代の頃の健さんが、登場すると、客席から、すかさず、「ヨシ!」という掛け声がかかる。ポリ公ならぬ、敵役のヤクザの俳優がでようものなら、これ又、「ナンセンス!」とばかりに、まるで、銀幕の中の高倉健が演じきる役柄に、僕たち、若い観客は、自己投影したものである。橋本治が、駒場祭にイラストした、「とめてくれるな、おっ母さん、背中の銀杏が泣いている」というポスターにも、色濃く、反映されているように、当時のまさに、26年も経過した平成の世から、今にして思えば、昭和の香りが、残っていたのかも知れない。それにしても、何故、あんなに、尖っていた時代に、あれ程までのストイックな役柄を演じ切れたのであろうか?仮に、俳優にも、賞味期限があるとしたら、いや、人生にも、それなりの賞味期限があるとせば、若い時の短い、賞味期限である20代、30代の時には、肉体的も、鋭い眼光でも、あの短い刈り上げられた頭の形も、諸肌脱いで、唐獅子牡丹の入れ墨を見せながら、仁義を切ることも、その時の一瞬でしか、その時しか、出来ないことだったのかも知れない、改めて、もう一度、みたいものである。想い起こせば、映画を見終わった後で、鶴田浩二が、いつも、銀幕で、拳を握って、歩いていることに気付いて、外に出てからも、電車に乗ってからも、そう言えば、ある種の精神を持続するために、知らず知らずのうちに、拳を握って歩いている自分に、気付いて、笑ってしまったことを想い起こす。学歴に苦労した両親の世代から、期待されて学校に通ったものの、何か大きなエスタブリッシュメントに抗おうとする、孤高の世界の中で、高橋和己の「孤立無援の思想」の中で、尖った時代に、「内なるドス」を心の奥底に、きっと、若い観客は、一人一人が、そういう思いを持ちながら、きっと、「昭和残侠伝」を観ていたのであろうか?そんな僕たちも、高倉健のその後の俳優としての成功を追いながら、「不器用」な性格同様、いつしか、妻にも、家族にも、愛情表現がうまく出来ない男に、齢を重ねるに従って、なっていったのかも知れない。石原裕次郎のような「ジャックナイフ」とも一寸違って、「内なる心のドス」は、いつしか、錆びてしまったのか、或いは、妻や家族の愛の中で、溶けて融解してしまったのか、分からないが、あのドスのきいた声も、鋭い眼光も、齢を重ねるに従って、或いは、社会的な成功を収めるにつれて、消え失せてしまったのだろうか?銀幕の中の高倉健が演じきった様々なこうした人物像は、その後の様々な作品を観ても、それらの中に、しっかりと、燦然として、輝きを保っている。映画というものは、自分の中に在るある種の「心の有り様」を考えさせてくれる媒体で、それは、逆に、仮想の世界に、引き込まれてしまうモノではなくて、むしろ、逆に、「気付かせて貰う」ありがたいものであるのかも知れない。仮想の「生き方」を、俳優という商売は、演技を通じて、一人一人に、考えさせる職業なのかも知れない。今日、簡単に、歌手や、パフォーマーと称する者達が、いとも簡単に、ハードルが低くなった性なのか、どうかは分からぬが、俳優業に転向できるそういう、ある種の「器用さ」が、世の中に蔓延しているが、人を寄せ付けないような「孤高の不器用」というものも、確かに、演技として、演じきったことは、成る程、偉大なことであろう。仮に、今、「昭和残侠伝」をリメイク使用としたら、一体、どんな監督が、どんな無名の俳優を起用するのだろうか?どこかに、そういう若い俳優が息を潜めて、虎視眈々と狙っていることを、期待したものである。それとも、今日、そういうことは、受け入れられないという時代なのであろうか?