小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

農民生活歴史資料館のイメージがほぼ纏まる:

2016年07月08日 | 社会戯評

農民生活歴史資料館のイメージがほぼ纏まる:

海外から来るインバウンドの旅行客に、事前に、サウンドしてみて様々なことが分かってくる。郷土資料館のように、ただ、品物を並べて、文字で説明したところで、何の感動も得られない。何故ならば、それは、今一、我々の現在の生活とは、無縁であるからである。例えば、以前、お父さんから、大きな鋸を二つ、見せて貰ったところ、一つは、樹を切る鋸であることは、容易に、理解出来ても、もう一つの鋸が、まさか、天然氷を切り出す鋸であるとは、思いもつかなかったものである。成る程、今日では、電気冷蔵庫が当たり前のように、生まれたときから、氷などは、冷蔵庫を開ければ、いとも簡単に、手に入れられることになってしまい、ものを冷やすという行為自体が、氷で、冷やすなどとは、思いもつかない時代になってしまっている。まして、冬の寒い季節に、わざわざ、南極の氷でオンザロックを飲むわけでもあるまいし、天然氷を、何故、切り出すのであろうかなどと、思いも寄らないのかも知れない。カナダからの自転車旅行をしているフィルによれば、二人がかりで、太い樹を鋸で、押し合いへし合いして、樹齢何百年という大木を二人がかりで、切り出す鋸はみたことがあるが、天然氷を切り出すのは、成る程、カンボディアでしか、みたことがないねと感慨深げに、云っていた。成る程、餅つきの杵と臼も、触ってみて、その重さが実感出来、又、樹齢何百年というケヤキの幹をくり抜いて、臼が出来るのかなどと、知っているようでいて、結構、知らないモノである。ましてや、餅つきなど、どんな手順で、餅米を蒸かして、どのくらいの量の分量の餅が、何人分くらい出来上がるのであろうか?、そんなことも、今や、長老にでも尋ねないと、ひょっとして、わからないかも知れない。棚田の歴史なども、新田開発とか、中山間地の開拓とかも、唐松林を伐採し、畑や田んぼに、する為に、水利を如何に確保してきたかとか、結構、どんな道具が、使用されてきたのか、鋤や鍬も含めて、その重さを実感してみないと、まさに、『来て・みて・触って・実感して』貰うそういう資料館にしたいものである。それは、何も、農家や商家・豪農や武家屋敷に限らず、何でも、そうなのかも知れない。昔、馬小屋であった部屋に、作ってみるのも、面白いかも知れない、或いは、漬け物小屋であったところに、展示してみるのも良いかも知れない。そして、そこに、英語のナレーションでも、昔のカセット・テープ・レコーダーを活用して、流してみることにしてみようか、どうやら、藏の中に眠っているお宝でも探すことにしてみようか?それにしても、ひん曲がった太い樹の幹を加工した杵は、随分と重く、硬かったが、よく、先人達は、こんなものをこしらえたモノである。その知恵と工夫には、改めて、感激してしまうほどである。納屋の片隅に、5-6本も、転がって眠っている代物も、程なく、その眠りから、一寸、醒めて貰うことになりそうである。