庭の水仙の花が咲きました!:
ここのところ、陽が長くなり始めて、夕方、我が老犬との散歩にも、今や、車に轢かれないように危険防止用のLEDの点滅フラッシュ・ライトを点けて、出掛けていたが、どうやら、それも、つけなくて済む程度の明るさになってきた。又、午前中でも、書斎には、太陽の陽の光が、長く、差し込み始め、何気なしに、春の訪れが、間近な様子が感じられる。玄関脇の小さな花壇、(その昔には、小さな池を埋め込んで、金魚などを泳がせていたが、落ち葉や水の管理などで、結局、屋上行きとなり、今では、鉢植えの水遣り供給源になってしまったが、、、、、)そんな花壇にも、地植えしっぱなしの水仙の球根が、毎年、少しだけ、自然に、芽を出し、花を咲かせる。玄関の出入り口だから、春の訪れを告げるのには、最適である。鼻を近づけると、何やら、水仙の甘い香りがして、春を告げる梅の香とも、一寸、違った趣きである。その横では、鉢植えにされた沈丁花の蕾が、膨らみ始めている。こちらは、挿し木で、簡単に、増やしたもので、一つは、白色の花、もう一つは、深紅の花と、2種類が、鉢に植えられている。暖かさを増してきた朝の陽の光を燦々と浴びて、後2週間もすれば、3月初め頃には、甘酸っぱい香りを、辺りに漂わせながら、咲き始めよう。寒いとは云え、日一日と、暖かさを増すに連れて、これから、春の花々が、次々に、咲き乱れ始めるのが愉しみである。次は、沈丁花か、雪柳だろうか、そして、花桃へ、小手毬、、、、、、、へと。小諸の里山は、未だ、雪と氷に、蔽われているかも知れないが、一足お先に、春の訪れを愉しめます。そして、もう一度、小諸の里山の春を満喫出来ることを愉しみにしています。童謡に歌われた「春よ、来い!早く、来い!」という気持ちが、歳を重ねる度毎に、分かるような気がしてなりません。
ここのところ、陽が長くなり始めて、夕方、我が老犬との散歩にも、今や、車に轢かれないように危険防止用のLEDの点滅フラッシュ・ライトを点けて、出掛けていたが、どうやら、それも、つけなくて済む程度の明るさになってきた。又、午前中でも、書斎には、太陽の陽の光が、長く、差し込み始め、何気なしに、春の訪れが、間近な様子が感じられる。玄関脇の小さな花壇、(その昔には、小さな池を埋め込んで、金魚などを泳がせていたが、落ち葉や水の管理などで、結局、屋上行きとなり、今では、鉢植えの水遣り供給源になってしまったが、、、、、)そんな花壇にも、地植えしっぱなしの水仙の球根が、毎年、少しだけ、自然に、芽を出し、花を咲かせる。玄関の出入り口だから、春の訪れを告げるのには、最適である。鼻を近づけると、何やら、水仙の甘い香りがして、春を告げる梅の香とも、一寸、違った趣きである。その横では、鉢植えにされた沈丁花の蕾が、膨らみ始めている。こちらは、挿し木で、簡単に、増やしたもので、一つは、白色の花、もう一つは、深紅の花と、2種類が、鉢に植えられている。暖かさを増してきた朝の陽の光を燦々と浴びて、後2週間もすれば、3月初め頃には、甘酸っぱい香りを、辺りに漂わせながら、咲き始めよう。寒いとは云え、日一日と、暖かさを増すに連れて、これから、春の花々が、次々に、咲き乱れ始めるのが愉しみである。次は、沈丁花か、雪柳だろうか、そして、花桃へ、小手毬、、、、、、、へと。小諸の里山は、未だ、雪と氷に、蔽われているかも知れないが、一足お先に、春の訪れを愉しめます。そして、もう一度、小諸の里山の春を満喫出来ることを愉しみにしています。童謡に歌われた「春よ、来い!早く、来い!」という気持ちが、歳を重ねる度毎に、分かるような気がしてなりません。