お寺の納骨堂にある(51年前になくなった)父をお参りするために、お盆には欠かしたことのない兄夫婦が遊びに来ました。もう還暦を過ぎているとは言え、重機を扱う建設現場に働く季節労働者だけに、「この先何歳まで働くことが出来るのか」と不安の声を聞かされました。兄の話では「公共事業が激減し、月11日以上の仕事を確保出来ない人が多い。自分も昨年までは25日間仕事があったが、今は土日・祝日が休みのために、月の稼働日数は20日前後。還暦を過ぎると労賃も下がり、年収は大幅に減収。何とかしてほしい・・・」と切実に訴えていました。「働きたいと思っても働くことが出来ないつらさを政治家さんは理解していない」と総選挙を前に、各党のバラマキ政策に苦言を。「お前さん(私のこと)のところは雇用問題(季節労働者の仕事確保)では一番働いている姿は見える。でも、現実は(自・公か民主)どちらが政権をとっても、その先何をするのか見えてこない。まずは『中高年齢層』にも働く場の確保を真剣にとりくんでほしい」と普段は政治問題を語らない兄の一言に、頷きながら「頑張るから・・・」と答えました。
今日は、終戦64周年を迎えました。この間、TV等でも戦争の悲惨さをテーマにドキュメントや映画が特番で放映されています。大事なことは「日本が起こした侵略戦争の間違いの事実を若い世代に継承していく」ことだ、と思います。麻生首相も民主党も相変わらず米国の「核の傘」で日本が守られている、と主張していますが、「核兵器廃絶」とは逆行する姿勢です。
思い出すのは、「いまでも悔やまれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったのか。そうすれば戦争は起きなかったのではあるまえか」(井上成美海軍大尉)が親友に語った有名な言葉。戦争政策に一貫して「反対」(「非国民」)してきた日本共産党の値打ちが物語っている発言です。私は、改め て戦前・戦中、日本共産党員として頑張ってきた小林多喜二を思い出しながら、午後からSABU監督が現代の若者にも呼びかける(闘いの中に希望が)小林多喜二が書いた「蟹工船」の映画を見てきました。(添付写真:左)映画の鑑賞前に時間があつたので、アイビープラザで行っている「非核平和事業」の原爆展(添付写真:右)を見てき ました。「蟹工船」を見て、現代風のタッチでの描写でしたが、戦後はじめて行われる8月総選挙だけに、改めて「戦争」とは、「働く」とは、「希望」とは何か、そのことを考えさせられました。