長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

白無垢鉄火

2010年09月09日 02時03分00秒 | 落語だった
 いや、驚きましたねぇ。
 何がって、昨日は旧暦の八月一日、つまり八朔だったんですが、江戸時代、この日を、別の呼び方で「あらし」と言った。

 平成の世のアラシちゃんのことじゃないですョ。
 『坊っちゃん』の山嵐先生のことでも、『姿三四郎』の必殺技でも、ましてや『ゲームセンターあらし』でもないんです。

 嵐、野分、つまり台風。
 台風が来やすい日月なので、そう呼ばれることになったらしいのですが、まさにドンピシャ。都内は朝方から大雨、暴風雨でした。

 異常気象、気候分布の変動期…などといわれている昨今ですが、なんとまぁ、月の暦は、日本の気候風土にマッチしていることでしょう。

 ちなみに天正十八年の八月一日、西暦でいえば1590年ですから、今から420年ほど前のこの日は、豊臣秀吉に疎まれていた徳川家康が、大加増の大栄転だとか言いくるめられて(…というか、言いくるめられるふりをして)、中央の京都から遠く離れた、ただの蘆の原っぱでしかなかった江戸に入府した日です。

 八月の朔日、つまり一日ごろは、稲の花が咲き、米となって、労働が結実するころ。田が実る…田実(たのみ)の節句とも言われて、農耕民族には重要な日にちだったのが、そういうこともあって、江戸ではさらにお祭り化し、大奥でも吉原でも、白い小袖を着たそうなのです。

 北国三千人の遊女たちが、白衣をまとったさまは、さぞかし壮麗だったことでしょうね…これこそ八月に降る雪、秋の雪。
 そんなわけで、秋の雪…という川柳をどこかで見かけたら、あぁ、八朔の吉原のことだと、思ってくださいね。

 そういえば、白無垢鉄火という言葉があります。
 外見は、総身に純白の衣装を着ているので、品がよくおっとりしているように見えるけれども、あにはからんや、内面如夜叉、神経が太い、ずうずうしいヤツのことを、そういうそうです。
 ちょっと、川島雄三監督の『幕末太陽伝』の、花魁の取っ組み合いの大喧嘩を想い出してしまいました。……あれは「居残り佐平次」のエピソードですから、品川宿の話だったけれど。

 ところで、嵐ちゃんといえば、昭和の歌舞伎マニアには、紀尾井町、当代松緑です。
 初代辰之助が亡くなった時、嵐君はまだ学生服を着ていたつぶらな瞳の少年で、皆泣きました。

 おっと、忘れるところでした。
 九月九日は重陽の節句ですが、新暦で考えるのは義経にしておきましょう。
 菊の花がなきゃ、お節句の出来ようがありませんからね。
コメント
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