今日は画像と内容とは異なります。
昨日、枕木で作った自宅の一坪畑から収穫した三尺ササゲです。
このササゲで、田舎からいただいたもち米で赤飯を作ります。
自分で育てたササゲと田舎で育てたもち米で赤飯を作るのは、きっと贅沢な発想なのでしょう。
さて、長く生きて来ると自分で自分の性格は分からないものです。
一番分かるのは、いつも傍にいる女房なのでしょう。
ある経験から、仏像には位があるのが分かりました。
私にとっては大昔になりますが、大学卒業する前に1年ちょっと米国で生活していました。
日本に興味のある外国人は、本当に日本の文化や歴史を知っています。
海外志向だった私は、国外にあこがれがあって、あまりにも日本を知らずに実に恥ずかしかった思いがありました。
卒業する前の3か月間と言う短い時間ですが、奈良の禅寺に住み込みで修行の真似事みたいなことをしていました。
午後は近くの赤膚焼の窯元に通っていましたね。
そんな時期に調べた仏像の位についてです。
*道志から持ってきた草刈り機で庭の除草をしていました。
仏像の位です。
「天」(てん)の位。
失礼ながら、仏像では一番の下っ端?なのでしょう。
天狗になって 自慢して仏教に帰依させるのです。
何でも自慢して目立ちたがるのです。
方法はともかくとして、仏教を帰依させる役目です。
*帰依(きえ)とは、仏門に入って教えに従うことで、仏の教えを広める僧のことを言います。
*間違っていたらスミマセン。
・からす天狗 ・毘沙門天などが代表的なものです。
「明王」(みょうおう)の位。
門前に立ちはだかっている、怖い顔をした仁王様をイメージ してください。
ダメな人を力ずくで仏教に帰依させて救済する役目を負います。
明王は岩をはじめ動物などいろいろな物に座しています。
また武器を持っていたり、どちらか と言うと人をいさめる様があります。
門前の仁王様は左右にありますが、片方は口を開き阿(あ)を意味して、もう片方は口を閉じ吽(うん)としています。
正に阿吽の呼吸です。
「菩薩」(ぼさつ)と言う位もあります。
お釈迦様が修行中の姿で、冠、首飾り、イヤリ ングなど装飾品を身に付けています。
着飾って、自分の地位を認めさせているのでしょう。
位はかなり高い位置になっています。
如来は座っていますが、菩薩は立っていることが多いのは、目たちたがる性格からなのか?*分かりません。
自分を着飾って実績や過去の履歴などを誇張している存在で、きっと自分の修行中はこうだったとか、昔話がお好きなんでしょうね。いずれにしても、まだ、悟りを開いていない修行中の身なのです。
•弥勒菩薩…釈迦の次に悟りを開くとされる仏 •文殊菩薩…知恵を司る仏 •観世音菩薩(観音様)…たくさんの人を救うべく無数の顔や手を持つ。 •地蔵菩薩(お地蔵様)…地獄に堕ちた人をも救う仏。庶民に人気。とありました。
「如来」(にょらい)(如来が仏像の中で最も位が高いのです。
お釈迦様が悟りを開いた後の姿が基本なので衣をまとっただけの質素な姿。装飾品なし。
半眼で世の中全体を見渡 しており人望があります。
•釈迦如来…お釈迦様 •毘盧遮那如来…全宇宙を統括する仏。(奈良の大仏) •大日如来…太陽を神格化 •阿弥陀如来…極楽浄土の案内人(鎌倉の大仏) •薬師如来…医療の仏
*汗びっしょりで除草していました。
途中、ナイロンコード(ひもの刃)が無くなって、ホームセンターに行きました。
これはあくまでの仏教での位の話です。
しかし、我々の俗世界でも言える部分もあるのでしょう。
天狗になって人を動かす。
仁王のように強くいさめて人を動かす。
菩薩のように自分地位や経験を誇張(着飾って)している方もいらっしゃるかも知れません。
それはそれまでの経験や段階がありますから、悪いこととは言えないと思います。
この年齢になるまでも、定年退職してからも3回仕事が変わりましたが人を動かすのは大変ですね。
時には他人と比較して天狗になっていたころもあったかと思います。
自分では気が付かないのですが・・・。
また、現職の頃は部下に対しても叱咤激励として仁王の様相もあったかも知れません。
仕事や趣味の段階でも菩薩姿もあったのでしょう。
これまでの間、いろいろと至らないことは重々承知しています。
仏教の世界(地位)では、この歳になっても考えや行動も甘くまだまだ下っ端だと思います。
今では年金もいただいていますので、気持ち的にはもう着飾る必要はなくなりましたが、如来さまのように自然と人が付いてくる(寄ってくる)ような人になりたいですね。
ふと、こんな気持ちになった今日この頃です。
いろいろと過去を振り返っても反省すること多し!です。
私の性格も、忌憚なく女房が話してくれます。
あぁ~そうだったのか?!です。
Hiro