ナカナカピエロ おきらくごくらく

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アルコール

2010-12-30 10:59:58 | 日記
アルコール

現在、私は禁酒中の身である。

やめたいとかいう訳ではなく、抗うつ剤を飲んでいる為ドクターストップがかかっているからだ。よって、会社の飲み会は常に欠席。

唯一、居酒屋に行くのは、高校時代の親友と遊ぶときだけ。それでも私はアルコールは飲まず、ウーロン茶で済ます。親友は昼間からビールを飲み、夜は日本酒や焼酎を毎日欠かさず食しているそうだ。この親友と馬鹿話しながら飲んでいると、お酒を飲んでいないにも関わらず、こっちも酔っ払ったような気になるから、不思議なもんだ。

昔、私が小学生の頃、理科室にアルコールランプがあった。夏の暑い日、先生の目を盗みながら、アルコールランプを取り出し、腕にさらっとぬらす。そうすると気化熱で、腕が涼しくなる。ぬりすぎるとヒリヒリするので、量は加減する必要がある。

そのアルコールが飲み物に変わったのは、もちろん成人してからのことである。大学のゼミの飲み会で飲みすぎ、帰りの電車を途中下車して、トイレで嘔吐したのが、最初の飲酒体験。

入社して工場実習に行かされたときの工場の人たちとの飲み会は忘れない。べろべろに酔わされて、カラオケパブで嘔吐。もうお前は帰れと言われ、タクシーに乗せられ寮まで送ってもらった。そのとき、初めて自分の適量値を知ったのである。以後、吐くまで飲むことはなくなった。

配属後、新入社員の私は飲み会の幹事だった。仕切り役の私は周りの気配りに終始し、ゆっくり飲むなんてことはできなかった。でもみんなが楽しかったと言ってくれると幹事としては冥利尽きる。

毎日ビールを飲んだくれるようになったのは、会社のストレスが原因。夜11時ぐらいに帰宅し、食事とお風呂を済ませた後、眠ろうとしても眠れない。そしてビールを浴びるように飲んで、朝の4時ぐらいになって、ようやく就寝。8時頃には起きて出社。出社すると若いやつから、「酒臭いっす!」と言われるほど、お酒を飲んでいた。

そして発狂。後は前述の通りである。

アルコールに関して、唯一、後悔しているのは、父と酒を飲み交わすことができなかったことである。父は大の酒好きで、ヘビースモーカーだった。晩酌は毎日欠かさず、駅のホームで電車が来るまでの待ち時間、ワンカップ大関を買っては飲んでいた。昭和一桁生まれの父は頑固で、子供の頃の私には少し近寄りがたい存在だった。めったに叱らない父が一言言えば、何故か反抗できなかった。お酒とタバコが嫌いな母は、父といつも喧嘩していた。

就職して家を後にし、寮住まいで忙しい日々を送っていた私は、なかなか家族と会って話す機会がなかった。そんな時、父が胃がんで手術することになった。7時間に及ぶ手術で胃の半分を切除した。とりあえず手術には成功したものの、カーネルサンダースのようだった体はみるみる痩せていった。当然アルコールは医師から禁じられていたが、それでも父は飲酒をやめようとしなかった。私が実家に寄ったとき、父は梅酒を買って飲んでいた。アルコール度数が15度もあったにも関わらず、「これは健康にいいから。」と言って飲んでいた。私は父から酒を取り上げ、すぐさま台所の流しに捨てた。そのとき父は何も言わず、ただ黙っていた。

最後に会ったとき、父はロッキングチェアに座って、ただぼんやりしていた。この世の何もかもが、もうどうでもいい、といった感じだった。何もしゃべらなかった父が帰り際、「どうもありがとな。」と声をかけた。私は「また来るよ」といって家を後にした。

一週間後、姉から会社に電話がかかってきた。そこで私は父の訃報を聞いた。


コメント
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