砂の女
安部公房が書いた「砂の女」は、世界中でもっとも翻訳された本として有名だった。今は村上春樹の方が多く翻訳されているのかもしれない。どちらの小説家もエキセントリックな小説を書いているが、Meの場合、安部公房の方が断然に好きである。村上春樹で読んだ長編小説は「海辺のカフカ」だけであるが、ちっとも面白くもおかしくもなかった。それに引き換え、安部公房は面白い。それは日常から始まり、その日常から非日常へと奇妙にずれていく様が、まるで夢の中で空想するかのような妙なリアリティがあるからだ。その中でも「砂の女」は、よくよく考えれば、奇妙でありながらも、その奇妙さを感じさせずに、話が進められていく読みやすい小説であると思う。
「砂の女」は砂丘に迷いこんだ男が、窪地に家を建て砂丘に埋もれないよう毎日砂をかき出して生活している人々の暮らしを余儀なくされ、必至に逃げようと図るも捕まり、次第にその生活に馴染んでいき、窪地の外へ出られるようになっても、そこで生活を続ける男の心理描写を描いた小説だったように思う。(随分、昔に読んだものだから違っているかもしれない。)
一見、奇異に思える設定だが、世界のグローバル化が進み外地に暮らさざるを得ない人たちや、自由が抑圧されて過ごさざるを得ない人たちは、世界中で増えているし、これからも増え続けるだろう。
「砂の女」は、今の時代にも、またこれからの時代でもありうべき問題を提起しつづけるのである。
安部公房が書いた「砂の女」は、世界中でもっとも翻訳された本として有名だった。今は村上春樹の方が多く翻訳されているのかもしれない。どちらの小説家もエキセントリックな小説を書いているが、Meの場合、安部公房の方が断然に好きである。村上春樹で読んだ長編小説は「海辺のカフカ」だけであるが、ちっとも面白くもおかしくもなかった。それに引き換え、安部公房は面白い。それは日常から始まり、その日常から非日常へと奇妙にずれていく様が、まるで夢の中で空想するかのような妙なリアリティがあるからだ。その中でも「砂の女」は、よくよく考えれば、奇妙でありながらも、その奇妙さを感じさせずに、話が進められていく読みやすい小説であると思う。
「砂の女」は砂丘に迷いこんだ男が、窪地に家を建て砂丘に埋もれないよう毎日砂をかき出して生活している人々の暮らしを余儀なくされ、必至に逃げようと図るも捕まり、次第にその生活に馴染んでいき、窪地の外へ出られるようになっても、そこで生活を続ける男の心理描写を描いた小説だったように思う。(随分、昔に読んだものだから違っているかもしれない。)
一見、奇異に思える設定だが、世界のグローバル化が進み外地に暮らさざるを得ない人たちや、自由が抑圧されて過ごさざるを得ない人たちは、世界中で増えているし、これからも増え続けるだろう。
「砂の女」は、今の時代にも、またこれからの時代でもありうべき問題を提起しつづけるのである。