続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

観音せんべい買いました(太平記の記憶・谷中観音2)

2024-01-22 20:16:24 | 邑楽紀行

ひめちゃんは、まだ薄暗いうちにお散歩に出ました。

ハイシニアのタバサねーちゃんは、ゆっくりお散歩に出かけました。

ちょうど小学生の登校時間ですけど、気にしてません。

父兄が集合場所まで送っていくらしいです。

後ろから声がかかります。

 

「おはようございます

「おはようございます

「あのう、子犬の予定はありませんか?」

「え

「実は柴犬を飼いたいと思っているのです。ペットショップには、いないのです いないだけでなく、予約しても、柴の赤ちゃんが入荷の予定は全くないそうです

「え ごめんなさい。うちの子達は、もうおばあちゃんで。どうしたんでしょうね 一時は柴犬が30万円もの値段が付いていたのに お役に立てなくてごめんさい

 

そういえば、しばらく前に「子犬はいませんか?」と来たおじさんがいました。

黒柴家族が大勢でお散歩するのを見ていたのです。

「柴の赤ちゃんがいない」、どうしてだろう

 

タバちゃん、用を済ませると、快調に飛ばします。

 

椿の開花がなかなか進みません

曙(あけぼの)、やっと咲きました

 

 

 

本日、どうしてもお願いしたいことがあって、再び谷中の如意輪観音を参拝です

厨子の中のお姿を思いながら合掌

実はこのご本尊の写真を見たことがあります。

外の石仏の如意輪観音を小さく小さくしたような、素敵な金色のお姿だったと思います

 

ふと見ると、寒桜かな

2週間前には咲いてなかったと思います。

なんとなく、春の足音が聞こえそう

 

あれ、灯籠もこんなに凝っていたんだ

獅子の下には、十二支の動物です

獅子くん、逆立ちお疲れさま

 

石仏の、ふくよかな慈悲に満ちた雰囲気の如意輪観音さんにも合掌です

なんとなくずーっとこのお姿は記憶にありました。

もう一度合掌

 

 

側にある由緒、ちょっとわかりにくい所もあります。

『邑楽館林史帖』(みやま文庫 青木源作 平成6)にも、東上州三十三番札所についての記述があります。

東上州三十三番札所

「東上州三十三番札所」は宝永五年(1708)に廻国僧の堯観によって定められたもので、その後第29番札所の最勝寺僧前性が、寛延2年(1749)に札所順礼諸人のためにこの案内所をつくり、版木を堯観ゆかりの谷中村(言邑楽町)観音堂に納めた。かつてさかんだった札所巡りも次第に衰退しているのをなげき、明治37年(1904)谷中村の金井喜四郎、同佐々木熊次郎によって再刻されたものである。

 

再刻された版木の写真(個人蔵)も載ってます。

札所巡りの人々で賑わったのです。

ここにはその案内所と言うべき、版木があったのです。

由緒の碑のちょっとわかりにくい所を補う記事です

 

 

さて、売店に寄ります。

ざらめせんと、なんとなくもう一品、買い求めます。

  

あれ、観音せんべいでした

何かいいことあるかな

 

 

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太平記の記憶・谷中観音

2024-01-21 19:33:52 | 邑楽紀行

昨夜から雨が降り続いていました

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

今日は一日中室内犬で過ごします。

夕方は雨が上がって、ひめちゃんは南の方にいつもどおりお散歩です

赤城山には、まだ雪の残る所があります。

久しぶりに、ミックス犬のピーくんと逢いました

 

 

 

こぶ観音への道中、こぶ観音⇒と一緒に谷中(やなか)観音⇒もあります。

でも、途中でなくなります

谷中観音、はて行った事があるぞ

検索すると、こぶ観音の先でした。

 

 

気になって、1月5日出かけてみました

谷中集会所が境内にあるのです。

 

懐かしい優しさにあふれる如意輪観音に再会出来ました

あけましておめでとうございます

そしてお久しぶりです

 

由緒も確認です。

この観音様は夫婦和合・安産・長寿・ふくとくをみちびき、病気や苦難を救う霊験あらたかで、ご利益多く、老若男女の熱い侵攻を集めていることで古来幽明、本堂の霊仏は春日作で中野藤内左衛門景春の持仏である。

景春は中野城三代の城主で元弘三年五月八日新田義貞生品神社にて鎌倉倒幕の兵をあげた時、弟義春と参陣し北条高時を討ち幕府を倒す。義貞に従って建武政権に参加、足利高氏反旗をひるがえすや、各地に転戦。

延元二年三月六日義春越前金崎城で戦死、翌三年二月脇屋義助に従って越前鯖江で戦う。同年閏七月二日足羽七城総攻撃、総大将新田義貞藤島城に向かう途中矢面に立つのを景春がいさめたが聞き入れられず義貞戦死。その死骸の前に景春はぬかずいてあと追い自害。

景春殉死の知らせに悲しんだ奥方は山深い押落に庵室を結ぶ。

妙言尼と号し如意輪観音を安置して朝夕夫の冥福を祈る。

慶長三年九月中野氏の家臣の子孫 金井左五右衛門・神藤外記、押落の庵跡から谷中の現在地に如意輪観音を移し、世人に広く礼拝の御堂を建てる。

宝永五年四国修行僧堯親、東上州三十三観音霊場を定め、第九番札所となる。

 

ご本尊は、新田義貞に従って越前でなくなった中野藤内左衛門の持仏です

中野藤内左衛門は、生品神社の旗揚げから、新田義貞と一緒に行動していたのですね

太平記の記憶です

 

ウロウロしていると、車が乗り付け、家族で降りて鐘を鳴らして参拝し、慌ただしく去って行きます

普通に参拝する人達がいるようです

 

 

さて参拝です。

合掌

 

 

扉に案内が張ってあります。

ここは特定のお寺がかかわっているのではなく、地域で守っているようです

 

 

境内の石造物の皆さんです。

 

合掌

 

 

藤棚の奥にあった建物も確認です。

聖天山・神明宮・馬多楽神です。

とりあえず一礼です

 

 

売店によって、御朱印を求めます。

前回は開いてなかったと思います。

 

 

『上州の観音札所』(みやま文庫 内山信次・平成3)によれば、

(東上州卅三所)九番 谷中村 如意輪観音

        邑楽郡邑楽町大字中野字谷中

近年改修された立派な御堂である。境内には公民館、水飲み婆、便所、茶店、おみやげ用のかんのんせんべいまでそろっている。

明治三七年に金井喜四郎、多々木熊次郎等が上げた御詠歌の額が残っている。

 世をいとふ心のほども片掛くる

 たゞたのむべし法のちからを

 

御詠歌の額はわかりませんでした

でも、お土産用のせんべい類はありました

ざらめせんを買って帰りました。

手頃な値段でとてもおいしかったです

庶民が気楽に参拝出来る観音様でした

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浮島弁天の御朱印(新春の恩林寺)

2024-01-19 19:45:29 | 邑楽紀行

ひめちゃんは、字・塚越を歩いてきました。

ひめちゃんにとっては、ちょっと距離不足です

日陰の凍った路面も溶けました

赤城山には、まだ雪が残っています。

 

夕方、朝散歩が距離不足だったひめちゃん、いつもより南下します

中学校の先の、赤い屋根の町組集会所を廻って帰ります。

みんなが若いときは、普通に毎日来ていました。

 

夕方で、ちょっとボケボケですけど、ひめちゃんの後ろには麦畑です

麦が芽を出してます

懐かしい風景です

二毛作の田んぼです

 

 

 

1月4日、浮島弁天の御朱印を求めて恩林寺を訪ねました。

庫裏の玄関に、「御朱印受付」の案内です

浮島弁天の御朱印と恩林寺の御朱印をお願いします。

 

 

しばしの境内散策です。

何度か来てるけど、彼岸花の時期には来てないみたい。

心懸けておきましょう。

境内裏山をちょっと覗きます。

あとは、彼岸花の季節に

 

本堂の周りには、北条家のミツウロコがいくつもあります。

恩林寺は、「鎌倉幕府滅亡の時、執権北条高時の弟が逃れてきて建立した」と浮島弁天に大きな由来碑がありました。

 

大きな釣り鐘です。

 

目立つ青面金剛です。

三猿の上で踏まれているのは、邪鬼それとも贔屓(ひいき)

 

この子は見覚えあります

風景に馴染んできました。

 

臍の緒観音です。

安産の観音様かな

 

インパクトのある手水舎です

 

さて、そろそろ御朱印出来たかな?

本堂前を通って庫裏を訪ねます。

 

いただいた御朱印です。

ありがとうございます

 

 

七福神のみなさんにご挨拶して、駐車場に戻りましょう

 

こんにちは

みなさん2名ずつのお部屋ですけど、弁天様だけおひとりです。

浮島弁天のお寺ですものね。

 

 

隣のケヤキの木の下には、大きな石の大黒様と恵比寿様です。

 

大きな銀杏もあります。

昔々、実家にはもっと大きな銀杏と欅(けやき)がありました。

実家を離れて数年後、銀杏の巨木も欅の巨木もなくなり、そして実家もなくなりました

銀杏の巨木&欅の巨木を見ると、胸が痛みます

 

山門前で一礼です

門松いいですねえ

 

 

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こぶ観音2023

2024-01-05 20:09:52 | 邑楽紀行

ひめちゃんは、堀之内を北に出る道に入ります。

でも、カーブミラーから向こうは、行かないようにしてます。

ひめちゃんが2度ほど足に怪我をして、難儀しました

行きたいけど、やめておこうね

左折して、赤柴の老犬・プーちゃんの前を通って、岩神沼に到着です。

だーれもいません。

ちょっと寂しいね

 

八重の明るい椿が咲きました。

新春という感じです

 

 

 

12月28日、多々良沼からの帰り、国道122号線にある「こぶ観音⇒」に誘われて、数年ぶりに寄りました。

あれ、山門が新しくなってる

曹洞宗だったんだ

「こぶ」は、子生(子だから・安産・子育て)と瘤(不要なものを瘤として取り除く)の二つの意味だったんだ

前回来た時は、気にも止めませんでした。

 

門柱の側には、暖かい装いのお地蔵様です

「こんにちは

見てる方も、なんとなく暖かくなります

 

立派な仁王門です。

お正月の準備がしてあります。

白南天の実が付いています。

ひめちゃんちの白南天は、もうすっかり実を落としています。

仁王様方、もしかして「はじめまして」かな?

 

山門をくぐると、なんともクラシックな、クラシックすぎる手水舎です

いったいいつ頃造られたんだろう。

ちゃんと現役です

 

特別な日ではないのに、次々と人がやって来ます

本堂(大悲殿)で参拝です。

合掌

 

失礼して、中をのぞかせていただきます。

あれ、前からこんなにきれいな天井絵があったっけ

 

 

振り返って山門です。

超クラシックな手水舎、違和感なく風景に溶け込んでます。

 

境内にも、暖かい装いの石造物のみなさんです。

 

朱の後の残る端正な方です。

蓮の花を持ってるので、聖観音かな。

 

古い石造仏が集められています。

合掌

お土産屋さんも出来てました。

手頃なお値段で、「こぶ観音みやげ」のシールが付いているので、お土産に重宝しそうです。

年末なので、生そばを買って帰りました。

とてもおいしかったです。

リピしそう

 

新旧、うまく溶け込んだこぶ観音でした。

 

駐車場に、ショックな掲示です。

「動物をすてないでください」ですって

犬やネコを捨てていく人がいるのでしょう

 

 

年末のお忙しい中でしたけど、御朱印がいただけました。

ありがとうございました

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続・お久しぶりの浮島弁天(白鳥にこんにちは3)

2024-01-04 16:06:13 | 邑楽紀行

1月なのに、雨上がりの朝です

ひめちゃんは、先にひとり散歩です。

堀之内を西に出て、天神田を歩いて来ました。

ひめちゃんは、ちょっと見は七海ママに全く似てないけれど、よく似てる所もあります

ふりかえった太い首筋、ママを彷彿させます

 

天神田から見る赤城山、ちょっと白い

昨夜は雨ではなく、雪だったかな。

 

 

 

(12月28日)多々良沼の浮島弁天に到着です。

 

弁天様にご挨拶です。

あれ、如意輪観音さんの屋根がヤバい

でも、先に弁天様に参拝です。

お姿が見えませんけど、合掌

お外のこの方にも合掌

御朱印は後で、恩林寺にいただきに行きましょう。

 

 

こんにちは、お久しぶりです

如意輪観音さん自体は変わりなさそうですけど、覆い屋の屋根が壊れかかってます

ここは陸地は邑楽町、沼は館林市のようです。

まあ、いろいろあるのでしょう。

 

ここにもカメラマンが、何人もいます。

 

浮島弁天付近からの風景です。

シラサギ・アオサギも来ています

あ、また飛び立ちました

カメラが追いつけない

やっと捕らえた、多々良沼の空飛ぶ鳥たちです

 

沼の南側も、水が少ない

南周りの道を歩きます。

 

 

四阿(あずまや)も、お疲れです。

 

大きな藤棚もあります。

藤の季節も良さそう。

この先は鶉古城(うずらこじょう)です。

訪問は又の機会にしましょう

 

 

元の道に戻ります。

白鳥が一組近くにいます

手前の白いのがママ、後ろは子供達かな?

さようなら、また来るよ

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