ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。
タバサねーちゃん、今朝は調子がいいようです
ここのところ、毎晩アブラナ、特に花芽付きの所をゆでて食べてます。
「もっとおくれ」と催促するほど、おいしく感じてるようです。
菜の花効果かな
ご褒美下さいな
ひめちゃんも、アブラナ大好きです
お散歩の途中で、どちらかが用を足すと、二人でご褒美の催促です。
ご褒美は、普段食べているドッグフードを数粒です。
菜の花(アブラナ)の向こうには、霞んだ赤城山です。
開いてない花芽、おいしそうだね
三四郎おじちゃん、サマンサおばちゃん、ののこねーちゃんの3地蔵のまわりも、春の花が咲き始めました。
合掌
先日、黒保根のさくら祭りから帰り、国道122号線と分かれ、大間々町桐原を通ります。
ふと見ると、絹屋弥市の石灯籠が見えそうです
しばらく、雑草に覆われて、存在すらわからないない有様だったのです。
あれ、凝灰岩石仏がむき出しだ
覆い屋というか、御堂が崩れ落ちてる
入口は、閉まってます。
敢えてこじ開けて行くのは、遠慮しておきましょう。
入口で合掌
絹屋弥市の石灯籠、見えにくいですけど、まだ健在です
合掌
この石灯籠は、荒川の久下(くげ)の渡しで、白井権八(しらいごんぱち)に殺された絹商人・絹屋弥市(きぬややいち)の供養のために立てられたと言います。
権八地蔵に行ってきました・総集篇 (絹屋弥市の石灯籠)
江戸まで行っていた活躍していた絹商人が、桐原宿にはいたのです。
少し南に下ると、世音寺(せおんじ)です。
世音寺の隣には、郷蔵(ごうぐら)です。
凶作に備えて、穀物を蓄えておいたのです。
我が家も、少し何か蓄えておいた方がいいかな
道の反対側(東側)には、銅蔵です。
足尾から運ぶ銅を、一時蓄えていたのです。
道を渡って西側に戻ると、少し先には、銅街道・桐原宿由来があります。
桐原には、花輪宿の次に銅蔵が置かれたのです
この由来を、じっくり初めて読みました。
地元の人々によって記された、あかがね街道・桐原宿の記憶です
九区って、桐原かな?
道の反対側に九区公民館です。
古いけど、手作りの「桐原の史跡」の絵図があります。
目をこらしてよくみると、「粕川家の石どうろう」が絹屋弥市の石灯籠です。
おや、公民館の反対側には、「ちから石」ですって。
ミニパワースポットがいっぱいあります
今でもあるかな?
力石は確認して行きましょう。
文字がありそうな感じもするけど
重そうです。
どんな場面で、活躍したのかな?
車でよく通ってる桐原宿、そのうち、また歩いて桐原宿散策しましょう