続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

あかがね街道・桐原宿

2023-04-03 20:57:38 | あかがね街道

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

タバサねーちゃん、今朝は調子がいいようです

ここのところ、毎晩アブラナ、特に花芽付きの所をゆでて食べてます。

「もっとおくれ」と催促するほど、おいしく感じてるようです。

菜の花効果かな

 

ご褒美下さいな

ひめちゃんも、アブラナ大好きです

お散歩の途中で、どちらかが用を足すと、二人でご褒美の催促です。

ご褒美は、普段食べているドッグフードを数粒です。

 

菜の花(アブラナ)の向こうには、霞んだ赤城山です。

開いてない花芽、おいしそうだね

 

三四郎おじちゃん、サマンサおばちゃん、ののこねーちゃんの3地蔵のまわりも、春の花が咲き始めました。

合掌

 

 

 

先日、黒保根のさくら祭りから帰り、国道122号線と分かれ、大間々町桐原を通ります。

 

ふと見ると、絹屋弥市の石灯籠が見えそうです

しばらく、雑草に覆われて、存在すらわからないない有様だったのです。

あれ、凝灰岩石仏がむき出しだ

覆い屋というか、御堂が崩れ落ちてる

入口は、閉まってます。

敢えてこじ開けて行くのは、遠慮しておきましょう。

入口で合掌

 

絹屋弥市の石灯籠、見えにくいですけど、まだ健在です

合掌

この石灯籠は、荒川の久下(くげ)の渡しで、白井権八(しらいごんぱち)に殺された絹商人・絹屋弥市(きぬややいち)の供養のために立てられたと言います。

権八地蔵に行ってきました・総集篇 (絹屋弥市の石灯籠)

江戸まで行っていた活躍していた絹商人が、桐原宿にはいたのです。

 

 

少し南に下ると、世音寺(せおんじ)です。

 

 

世音寺の隣には、郷蔵(ごうぐら)です。

凶作に備えて、穀物を蓄えておいたのです。

我が家も、少し何か蓄えておいた方がいいかな

 

 

道の反対側(東側)には、銅蔵です。

足尾から運ぶ銅を、一時蓄えていたのです。

 

 

道を渡って西側に戻ると、少し先には、銅街道・桐原宿由来があります。

桐原には、花輪宿の次に銅蔵が置かれたのです

この由来を、じっくり初めて読みました。

地元の人々によって記された、あかがね街道・桐原宿の記憶です

九区って、桐原かな?

 

 

道の反対側に九区公民館です。

古いけど、手作りの「桐原の史跡」の絵図があります。

目をこらしてよくみると、「粕川家の石どうろう」が絹屋弥市の石灯籠です。

おや、公民館の反対側には、「ちから石」ですって。

ミニパワースポットがいっぱいあります

今でもあるかな?

 

 

力石は確認して行きましょう。

文字がありそうな感じもするけど

重そうです。

どんな場面で、活躍したのかな?

 

車でよく通ってる桐原宿、そのうち、また歩いて桐原宿散策しましょう

 

 

コメント
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