続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

あかがね街道・花輪宿4(赤城山祥禅寺・後編)

2023-04-14 21:03:56 | あかがね街道

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

あれ、ひめちゃんの足が止まります。

まだ黄色い帽子の集団(小学生の集団登校)は来ないと思うけど

蕨沢川の手前で、右折します。

 

川沿いにたくさんの石造物です。

確か、この石は道祖神です。

今朝も文字がよく見えません

裏は どうなってるのかな?

重すぎて、びくともしません

この道は曲がりくねった昔からの道です

何処へ行く道でしょう

最終的には赤城山に行くと思いますけど。

 

青面金剛の下の2猿、ちょっと気になります。

何か言いたそうな雰囲気です

ご褒美下さいな

石造物の皆さん、もうすぐ雑草に覆われてまた逢えなくなるね

合掌

今朝は、赤城山が見えます

 

 

 

(4月1日、赤城山祥禅寺境内の散策続けます。)

落ち着いた感じの鐘楼堂です。

桜の背景がいいですね

 

見下ろすと、古い墓石の山です。

古いお寺なんだなあという感じです

 

 

さて、石原和三郎さんや彫刻師の方々のお墓は何処だろう?

りっぱなお墓がありすぎて、分かりません。

でも、安眠のためには、その方がいいかも。

桜の背景の墓地、いいですね

みなさんに、合掌

 

 

太子堂にも、ちょっと参拝です。

お姿はよくわかりませんけれど、合掌

 

 

隣には、布袋尊です。

銅街道(あかがねかいどう)七福神の文字が見えます。

ちょっと寂しい布袋尊です

合掌

布袋尊の御朱印はあるね

 

 

ざっと一回りで境内を散策しました。

でも、何か違う?

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(平成14 上毛新聞社)によれば、

祥禅寺は近世初期と明治三十八年の二度、火災ニ逢ったため、開創期の史料や近世の記録を失っている。そのため寺之沿革などわからないことが多い。寺では二度の火災の原因が墓に供えた線香の火からといわれることから、明治三十八年の火災以降、寺の境内の墓地では線香に火をつけることを禁じ、火をつけずに上げる習慣になっている。

線香の燃えカスがなかったのです

 

またその内にお邪魔します

 

 

山門を出て、この間の踏切をもう一度確認です。

今度は、降りてみようかな

 

 

花輪駅方面は、多くの車とカメラマンです

みなさん、電車が来るのを待ってるのです。

 

 

今日は、右手にある花輪小学校記念館に行きます

しだれ桜が満開です

 

(つづく)

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