続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

亀岡観音堂(本尊胎内には新田義貞発見の亀観音)

2024-05-31 16:25:53 | 新田紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は一日中、おうち犬です。

 

午後には雨が上がったけれど、しっかり室内犬です

明日は晴れそうだよ。

お外犬、出来そうだね

 

 

 

(5月24日)花見塚神社前の道をそのまま北上、まもなく亀岡観音堂があります。

ここは、「儀源寺」持ちと言うことです。

儀源とは、新田義貞の妻の一人・勾当の内侍(こうとうのないし)の法号だそうです。

 

『尾島町誌通史編・上巻』によれば、

同寺(儀源寺)の管理する亀岡観音堂の本尊聖観音菩薩像の胎内には亀の背上の蓮華台に座する観音像がある。この観音像は義貞鎌倉攻めの時利根川の中州で亀の背の上で発見したといい、これが村の地名の由来だという口伝がある。

 

普通に考えると、新田義貞は目の前の利根川を渡って鎌倉攻めに行ったのです

最近では、梅雨時なので渡河は無理で、利根川の上流を迂回していったという説が優勢です

でも、古来、利根川を挟んで行き来していたのです。

世良田東照宮の助郷の村にも、川南の村がいくつもありました。

「梅雨時だからお休みします」なんてことは赦されなかったはずです。

目の前の利根川を渡っていったと考える方が自然です

義貞が利根川を綿ってる途中で亀の背中に発見した観音様は、1寸8分の小さな観音像だと言うことです。(『ぐんまのお寺・曹洞宗Ⅰ、儀源寺』)

そしてこの聖観音は、「東上州三十三番札所」の第17番札所だそうです。

 

 

すっきりとした石造物です。

あれ、二十二の文字の向こうに「源俊純」と見えます。

あの岩松の猫絵の殿様、源俊純の書です

 

優しさのただようみなさまです。

合掌

 

 

観音堂は元気そうです。

合掌

ご本尊の姿は、まったく見えません

霊場本尊なのだから、ちょっとだけでもお姿を拝みたいものです。

 

そばに大きな石碑があります。

よく見えませんけど、ここの観音様が東上州卅三観音の第17番札所であることが書かれているようです

 

弘誓川 み法の舟に 竿さして 幾年経ぬる 亀岡の里

御詠歌もあります。

書き置きの御朱印でも置いてくれるといいんだけどなあ

 

そうそう、近くに亀アンパンを売ってるコンビニがありました。

何時の間にかコンビニはなくなってしまいましたけど、コンビニにも、ご当地キャラがあっていいですよね

 

 

本堂の裏には石仏群です。

 

 

強い願いのこもった青面金剛です

右の方は、元禄二年(1689)と見えます

実家のご先祖様が亡くなったは元禄三年、ご先祖様の墓標と同じくらいの星霜を経ているのです

 

ここには、ご先祖様と同時代を生きた人々の記憶がありました

 

 

(つづく)

 

コメント
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