雨の一日です
ひめちゃんは、今日もおうち犬を決め込みました
昼頃、雨が一時止んで、そこらまでのちい散歩をせがみました。
もしかしたら、外のお部屋に帰るかな?
玄関は素通りしたけれど、居間のガラス戸を「開けて」です。
今日も一日おうち犬です
明日、天気になーれ
本日は、三四郎おじちゃんのアーカイブです。
2000年11月、ムーハウスにやって来て2ヶ月です
かわいいかった
このころは、サークルでも首輪をしていました。
もう暫くして、お散歩帰りに付いてきた日本犬保存会の会員だというおじさんの「被毛に跡が付かないように、首輪は外して置いた方がいい。」というアドバイスで、サークルの中では基本的に首輪無しでした。
その伝統で、ひめちゃんたちも、おうちでは基本的に首輪(ハーネス)なしです。
おじさんは、三四郎を褒めて、その血統書を見せて欲しいと言いました。
三四郎は、彩の国・熊谷の生まれです。
日本犬保存会の血統書は、出生地は所番地まではっきりと記されます。
おじさん、熊谷に行ったかも
先日東の桐生市に行く途中、相生で「八坂神社夏祭り」の表示がありました
相生の八坂神社の境内には、岡登神社もあります
新田生まれのひめちゃんちのおかさんは、やはり参拝しておきたい所です
ちょっと、寄道です。
「岡登堰土地改良区」の機関誌(PDF)によれば、
岡登用水は笠懸野の荒野を潤すため「代官岡上次郎兵衛景能公」によって、寛文4年(1664年)から同12年(1672年)に、渡良瀬川右岸の大間々町高津戸地点で岩盤を掘り割って導水口及び隧道、開渠による導水路340mの難工事をはじめ、三俣分水までの開渠4,100m、鹿の川沼までの開渠1,800m、さらに銅山街道沿い市野井新田までの開渠8,000mの総延長約14kmの水路及びため池(鹿の川沼)が開削された。しかし開削後数年間で荒廃し、天保3年(1832年)の飢饉を契機として、安政3年(1856年)に天王宿村・下新田村が幕府に再興の願い出をし、明治6年(1873年)までに全面再興された。明治32年(1899年)「岡登堰普通水利組合」が設立され用水等の維持管理を実施してきた。
とあります。
桐生市相生町は、かつての天王宿村だそうです。
岡登神社があるのも納得です。
駐車場は不安があるので、近くのコンビニから歩きます。
一の鳥居を入ると、左手に墓地があります。
かつては別当寺があったのでしょう。
正面左の真っ赤な鳥居が八坂神社です。
右奥に石の鳥居が見えます。
あちらが岡登神社でしょう
落ち着いた雰囲気です。
由緒はよく見えません
お賽銭を入れて、2礼2拍1礼です
ここは天王宿村、岡登用水は大切な存在だったのです
左手の八坂神社、明るく元気そうです。
神楽殿の前にはテントの用意があります。
地域力が生きてます
正面から参拝です。
狛犬さん、こんにちは
階段を登って拝殿で、2礼2拍1礼です
八坂神社の参道を帰ります。
灯籠がいっぱいです
「藍原」さん、天王宿村の名士かな
赤い鳥居を出ると、やはり右手の墓地が気になります
ええッ、善昌寺ってあの新里の善昌寺ですか
ちょっと遠いよ
(つづく)