ひめちゃんは、赤柴の長老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。
プーちゃんは、ちょうどお食事中です。
岩神沼に、誰かいるかな?
いました
アオサギさんです。
あれ、沼の中にもアオサギさん
枯れ木です
でも、まるでオブジェのよう
よく似てまふね
また、プーちゃんの前を通って帰ります。
プーちゃんは、まだお食事中です。
ゆっくり食べるのも、長生きの秘訣かも
(7月19日)龍昌院の散策、続けます。
御朱印をお願いしようと庫裏を尋ねますけど、反応がありません
諦めて帰ろうとすると、瀬戸内寂聴さんのようなおばあちゃんが汗をフキフキしながら、出現
「お待たせしました。今、草を抜いていて」
色々話が弾みました
彼女は、御年85才、現役の隆昌院の住職だそうです。
お孫さんが、若和尚として色々活躍中だそうです。
そして、なんと彼女は、高校の大先輩でした
世代は少し離れますけど、古い女子高の共通する記憶がありました
草ひきの後なので、筆が持ちにくいと言う事で、御朱印は後日再訪していただくことになりました。
再訪を約して、裏山(古墳らしいです)の大谷隆昌の墓を訪ねます。
「大谷吉継の孫 (宇賀神) 隆昌の墓」とあります
隆昌さんは宇賀神?
此の辺りが大谷家の墓のメイン部分です。
宇賀神と思われる石の横に、大谷と隆昌の文字が見えます。
ここが一番メインです。
合掌
さて、境内の東を走る県道に出て、高山彦九郎の妹・「伊与久きん」さんの墓を尋ねます。
どこが、きんさんの墓か分かりません
とりあえず、中央の宝篋印塔前で、みなさんに合掌
宝篋印塔の文字もよく見えません
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅱ』(平成13 上毛新聞社)によれば、
当寺は大字伊与久のほぼ中央分の字西馬場(にしばんば)に所在している。明治初年の『上野国郡村誌』には「竜昌院 東西四十間南北廿一間、面積八百二十八歩・・・真言宗新田郡世良田邨総持寺の末、開基不詳」とあり、開基者やその年代については定かでない。ただ当寺には、伊与久村を開いた豪族、旧五十久(いよく)氏墓所がある。五十久氏の当地への土着年代は明らかでないが、墓地には応永(1397~1428)の年号のある五十久重吉の墓塔(宝篋印塔)があることなどから、竜昌院はこのころには、すでに存在していたとみられる。
あの中央の宝篋印塔は、伊与久家のご先祖様のものですね
後日再訪して、いただいた御朱印です。
また色々話が弾みそうでしたけど、当日は、歯医者の予約があったので長居が出来ませんでした
高校の大先輩に会って、話がこんなに弾んだのは初めての体験です
昔の女子高はそれなりによかった
秋にでも、また来まーす