続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

さかいにとらる・淵名荘と新田荘の境界(東沼と新渕名橋)

2023-05-15 18:51:51 | 早川物語2

今朝も、冷たい雨でした

でも、ひめちゃんとタバサねーちゃんの夕方のお散歩時間には、雨はほとんど上がりました

足取りも軽くお散歩です

薄日も差してきました

ずっと冷たい雨だったので、不完全燃焼のお散歩が続きました。

また明日からしっかり歩きましょう

 

 

 

 

5月13日、所用があって新田に出かけました。

本日は、国道17号線(上武道路)で行きます。

 

大国神社前の信号で、信号待ちです。

ふとハンドルを左に切ってしまいました。

以前から、この先の沼と川が気になっていたのです。

 

県道292号線に入り、まもなく沼の手前の道を入ります。

どこまで行けるかな?

沼の周りを一周できそうです

農業用の溜池なのでしょうけど、アオコがいっぱいです。

 

沼の周囲には桜の木です。

桜の季節にはいい風景でしょう。

今度はその時期に寄りましょう

 

東へのカーブ反対側に、弁天様です。

沼の中の弁天島の危機で、ここに遷座なのですね。

合掌

 

アシ・ヨシの類も繁茂しています。

 

沼の東に出ると、沼淵の道と建物のむこうにまわる道の、2本の道があります。

手前を右折せずに、前を行く車の後を付いて行きましょう。

 

その前に、沼の様子をちょっと観察

弁天島の面影はないようです

まるで、ある時期の山上の岩神沼の様な光景です

鯉の養殖でもやっていたかな?

 

前の車の後を付いて、心細く細い道を進みます。

岩神沼よりはるかに大規模な、鯉の養殖場だったようです。

数年前に、鯉にも伝染病がはやって、今はほとんどどこも養殖をやってないみたいですね

 

 

振り返ると、赤城山は霞んでいます。

大河が流れています。

川は早川です

あの山の麓、新里村奥沢の山奥から流れ出して、ここまで長い長い旅をしてきました

 

 

右を見ると、大国神社前の信号です。

左右に国道17号線が走ります。

 

 

橋の名は、新渕名橋です。

早川は、淵名荘と新田荘の境を流れています。

けれども、流れが変わったり、境界を巡る争いが度々あったりしたようです。

さかいにとらる(境界の向こうに横領された)こともある、淵名荘と新田荘の境なのです。

 

 

上流の流れです。

この川を遡れば、上野国山上(やまがみ)に行けるのです。

天正2年(1574)閏11月、羽生衆千余人は羽生城を破却して、山上に退去しました。

真冬だけど、この川を遡って、迷わずに行けたことでしょう

 

 

下流の流れです。

早川はもうしばらく国道17号線脇を流れ、やがて国道の下を世良田方面に流れを変えます。

上野国山上の行仙上人が、世良田長楽寺に行っていたのも、早川の存在が大きいように思えます

道に迷う必要がないのです。

 

もう一つ下流の橋が渕名橋かな?

行ってみましょう

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