続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

大きな塚のような山を背にした龍昌院

2024-07-22 16:16:13 | 群馬県・中毛

朝から猛烈な日射しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字・天神の田んぼ)のあぜ道に入ります。

今日もいました。

アオサギさんです

ズームで焦点を合わせようとすると、どこかに飛び去ってしまいます

ひめちゃんは、情報収集です。

誰か通ったかな?

無量寺界隈を歩いて、帰りました。

ガードレールの影でも、ありがたいでふ

 

 

みやま文庫『上州の観音札所』(昭和55 内山信次)に、

上毛佐波郡卅四所、廿四番に、「伊与久 龍昌院 正観音」があります。

大きな塚のような山を背にした龍正院は、山号を赤城山という。古い地図にこの山の裏に⛩の印がある。現在は社はない。ここは赤城山を配する神仏共存の施設としての長い時があったのであろう。札所の佛は厄除け薬師観音という。

 法のはな 枝折(しおり)て深く 分け入れば ここも赤城の 山のふる寺

 

伊与久沼付近の地図を眺めて、どうして山号が赤城山なんだろうと不思議に思ったものでした。

なんとなく納得です

 

7月19日、新田へ行く途中、寄ってみます。

駐車場には、すでにたくさんの石造物です

 

背中にこんなに子どもを乗せたママさんカエルは、初めてです

紫陽花の次の季節の花、サルスベリやカンナも咲いています

みなさんに合掌

 

新義真言宗ですか

素人にはわかりません

寿久茂塚古墳ですって

裏の山は古墳ですか

 

旧佐波郡でよく見かける、観音霊場巡りの案内があります。

開基由来 当院は、戦国時代の武将大谷平馬吉継の孫の五右衛門隆昌が伊与久に蟄居、厩橋城主酒井公に奉仕、大坂冬の陣と夏の陣に出征。この功績を認められ徳川幕府より五十石受領、伊与久郷に除地拝領し出家し竜昌(隆昌)院を建立したと伝えられている。裏山にこの隆昌の墓地がある。

あの大谷刑部の孫が開基ですって

 

 

さて、これから先は、お寺のメイン部分です。

こちらにも、石造物がいっぱいありそうです

御朱印をいただきましょう

 

 

(つづく)

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雨の日の御朱印(世良田八坂神社)2

2024-07-20 12:02:18 | 新田紀行

ひめちゃんは、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いてきました。

ここの田んぼ、昨日の朝は目立たなくアオサギさんが2名がいました

カップルかな?

実は最近、何度か見かけています

隣には小さな溜池です。

左を流れる蕨沢川(天神川)から、水を引いているのでしょう。

サギさんが好む条件がそろっている場所のようです

後ろ姿で失礼します

赤城山は、うっすらとその姿を見せていました

 

 

 

 

そろそろ「おおたんのスタンプラリー」始まるかな?

太田市のHPを確認すると、申し込み受付は始まってます

とりあえず申し込みをしておこう

 

7月16日、太田市尾島町舎(旧尾島町役場)で、申し込みを済ませスタンプ帳と地図をゲットしました

 

雨だけど、せっかくだから八坂神社に寄っていこう

世良田祇園祭りの御朱印もあったはずだし。

 

八坂神社のかなり手前ですけど、もう祭りの提灯です。

祭りの当日(7月25日)は、この道は通行止めとあります

 

尾島カルタです

残念ながら、ひめちゃんちのおかあさんが住民だったころは、ちょっと下火でした。

したがって、世良田祇園に来たことはありません

実家の親たちは、よく話していましたけど。

 

雨なのに、けっこう車が入っていきます。

 

駐車場の一角には、屋台庫があります。

 

手水社、紫陽花の花手水は終わりかな

今日は猫も浮かんでます

古い神社ですけど、新しい発想があるようです。

 

鳥居をくぐって、茅の輪をくぐってこの半年の厄落としをして、拝殿前で2礼2拍1礼です

 

さて、社務所で御朱印をお願いしましょう

たくさん御御朱印があります。

でも、お目当ての祇園祭の御朱印がありません

祇園祭の御朱印は、もう少し先だそうです。

HPは去年の情報ではないかと。

20日過ぎに電話をしてからおいで下さいですって。

 

雨の日の御朱印が2種ありました。

傘をさした女の子の御朱印は、以前いただきました。

雨の日の御朱印(夏祓の世良田八坂神社)

今回は新しい龍の御朱印を戴きます。

 

 

さて、少し境内散策です。

 

熊杉です。

 

樹齢700年の大杉だったのですね。

 

利根川の向こうの中瀬(深谷宿)の人の寄贈の御神輿です。

大河・利根川は流れていても、川南とは深いつながりがあったのです。

 

 

裏の木立の中にはたくさんの境内社です。

縁結びの神様、良縁を願って、心を込めて2礼2拍1礼です。

 

出羽三山の神は、五穀豊穣・無病息災の神さまですか

2礼2拍1礼です

 

弁天様です。

  

たくさんの御利益がある野ですね。

心を込めて2礼2拍1礼です

 

本殿・拝殿をうしろから眺めて帰ります。

また、来まーす

 

 

いただいた御朱印です。

写真では見えませんが、小さな水滴が玉のように光ります。

素敵な雨の日の御朱印です

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八坂神社境内に廃寺・昌白寺跡

2024-07-18 13:24:28 | 県道3号線紀行2

昨夜は激しい雷雨に見舞われました

今朝は、早朝から強い日射しです

 

ひめちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼に向かいます。

沼下の貯水池から、何かが飛び立ちます。

アオサギです。

彼(?)は沼の西側に一度着地、それからまもなく、弾丸のように飛び去っていきました。

アオサギさんに会えたね

 

ここはミドリ沼ではなく、まだしっかり現役です。

 

 

 

相生の岡登神社&八坂神社の参拝を済ませて、一の鳥居を出ます。

 

やはり右手の墓地が気になります。

ええッ、ここは善昌寺の墓地ですか

廃寺になった、昌白寺は、善昌寺の末寺だったのかな?

やはりここは善昌寺が管理しているようです。

でも、けっこう離れています

お墓のお掃除をしているおじさんがいます。

「こんにちは ここは善昌寺の墓地だと言うことですけど、善昌寺って、あの新里の善昌寺ですか?」

「そうだよ。うちは、新里の善昌寺の檀家だよ

ここは、ちゃんと堂宇もあったお寺だったそうです。

 

六地蔵さん、現役のようです。

合掌

 

立派な石造物が、いっぱいです

和尚さんの墓石は、何故か少ない

 

大きな大きな五輪塔と宝篋印塔が目立ちます。

 

大きな大きな五輪塔、文字は読み取れませんでしたけど、この寺の開基さんか何かかな

 

墓石には、「藍原」家の文字がたくさん見えます

八坂神社の灯籠にも、「藍原」さんでした。

 

お寺は廃寺になったけれど、石造物には、明治の廃仏毀釈の時の傷跡も少ないようです。

 

 

  

 

みなさんに合掌

 

前の道は国道122号線、すぐそばの信号で県道3号線が合流します。

2つ先の信号まで同道して、県道3号線は左折、再び独立して、赤岩橋で渡良瀬川を渡り、桐生駅前に向かいます

あの信号の右突き当たりには、「秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵」がある愛宕神社があります

桜と土俵(相生・愛宕神社)

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相生岡登神社

2024-07-16 17:14:06 | 県道3号線紀行2

雨の一日です

ひめちゃんは、今日もおうち犬を決め込みました

昼頃、雨が一時止んで、そこらまでのちい散歩をせがみました。

もしかしたら、外のお部屋に帰るかな?

玄関は素通りしたけれど、居間のガラス戸を「開けて」です。

今日も一日おうち犬です

明日、天気になーれ

 

本日は、三四郎おじちゃんのアーカイブです。

 

2000年11月、ムーハウスにやって来て2ヶ月です

かわいいかった

 

このころは、サークルでも首輪をしていました。

もう暫くして、お散歩帰りに付いてきた日本犬保存会の会員だというおじさんの「被毛に跡が付かないように、首輪は外して置いた方がいい。」というアドバイスで、サークルの中では基本的に首輪無しでした。

その伝統で、ひめちゃんたちも、おうちでは基本的に首輪(ハーネス)なしです。

おじさんは、三四郎を褒めて、その血統書を見せて欲しいと言いました。

三四郎は、彩の国・熊谷の生まれです。

日本犬保存会の血統書は、出生地は所番地まではっきりと記されます。

おじさん、熊谷に行ったかも

 

 

 

先日東の桐生市に行く途中、相生で「八坂神社夏祭り」の表示がありました

相生の八坂神社の境内には、岡登神社もあります

新田生まれのひめちゃんちのおかさんは、やはり参拝しておきたい所です

ちょっと、寄道です。

 

「岡登堰土地改良区」の機関誌(PDF)によれば、

岡登用水は笠懸野の荒野を潤すため「代官岡上次郎兵衛景能公」によって、寛文4年(1664年)から同12年(1672年)に、渡良瀬川右岸の大間々町高津戸地点で岩盤を掘り割って導水口及び隧道、開渠による導水路340mの難工事をはじめ、三俣分水までの開渠4,100m、鹿の川沼までの開渠1,800m、さらに銅山街道沿い市野井新田までの開渠8,000mの総延長約14kmの水路及びため池(鹿の川沼)が開削された。しかし開削後数年間で荒廃し、天保3年(1832年)の飢饉を契機として、安政3年(1856年)に天王宿村・下新田村が幕府に再興の願い出をし、明治6年(1873年)までに全面再興された。明治32年(1899年)「岡登堰普通水利組合」が設立され用水等の維持管理を実施してきた。

とあります。

 

桐生市相生町は、かつての天王宿村だそうです。

岡登神社があるのも納得です。

 

駐車場は不安があるので、近くのコンビニから歩きます。

一の鳥居を入ると、左手に墓地があります。

かつては別当寺があったのでしょう。

 

 

正面左の真っ赤な鳥居が八坂神社です。

右奥に石の鳥居が見えます。

あちらが岡登神社でしょう

 

落ち着いた雰囲気です。

由緒はよく見えません

 

お賽銭を入れて、2礼2拍1礼です

ここは天王宿村、岡登用水は大切な存在だったのです

 

 

左手の八坂神社、明るく元気そうです。

神楽殿の前にはテントの用意があります。

地域力が生きてます

 

 

正面から参拝です。

 

狛犬さん、こんにちは

 

階段を登って拝殿で、2礼2拍1礼です

 

 

八坂神社の参道を帰ります。

灯籠がいっぱいです

 

 

「藍原」さん、天王宿村の名士かな

 

赤い鳥居を出ると、やはり右手の墓地が気になります

 

ええッ、善昌寺ってあの新里の善昌寺ですか

ちょっと遠いよ

 

(つづく)

 

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子どもが7人いる女神の七母女天宮

2024-07-15 13:11:00 | 早川物語2

雨雲レーダーは、「まもなく雨が降り始めます」。

ひめちゃんは、大急ぎで朝散歩に出ます。

ここの田んぼは、除草剤を撒かないようです

まめに草刈りがなされています

ひめちゃんも草を食べるし、時にはカモのつがいがやって来ます

 

何とかずぶ濡れにならずに帰宅です

もちろん、今日も室内犬を決め込みました

お外の方が体にいいと思うんですけど。

掃除機が駆けられない

彼女には怪獣に見えるのでしょう

 

明日は、初代黒柴犬・三四郎の24回目のお誕生日です

2000年の秋、新田のジョイフル本田で彼に会って、黒柴生活がスタートしたのです

 

三四郎と出会ったから、今日迄生きて来れたのです

ありがとう、三四郎

また逢いましょう

 

 

 

6月29日、淵名神社にうまく駐車できませんでした

しゃあない、せめてもう1ヶ所どこかに寄って行こう

コンビニに駐車して地図を見ると、早川の東(淵名の東、境東新井)に七母女天宮があります

聞き慣れない神社ですけど、かえって興味が湧きます。

 

はす向かいに駐車スペースがありました

落ち着いて参拝できそうです。

「七母女天」は、「大土神社」なの?

七母女天は、五穀豊穣をもたらす大地の女神?

 

落ち着いたいい雰囲気の境内です。

2礼2拍1礼です

 

社殿の裏に回っても、境内社は一社のみ。

 

社殿を一周してきました。

鈴を鳴らせないように、まだ567仕様です。

無病息災とか悪霊撃退とかの神様ではないのかな?

あれ、なんとなく警備会社の警備が入ってる?

 

鬼瓦にも、「女天」の文字です。

七母女天は、魔を撃退する力を持ってる

 

いろいろ検索すると、「NPO法人境いきいきアイ2020」というサイトに、ここがありました。

読み方は、しちぼにょてんぐう

子どもが7人いる女の神様で、そのうちの1人が世良田の八坂神社に祀られている須佐之男命(しさのおのみこと)と伝えられています。

 

そうすると、須佐之男命(しさのおのみこと)のママだから、こちらもそうとう古い由緒という事になりそうです。

世良田の八坂神社、しばらく行ってませんね。

御朱印も色々ありました

そのうち、また参拝しましょう

 

大きすぎないけれど、そこそこの大木が、神社の森を作ってます。

古くからの大木は一度整理されたのかも

西を流れる早川は南に下って、世良田を流れます。

息子が世良田に祀られていると言うのも、早川物語です

 

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