朝から猛烈な日射しです
ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字・天神の田んぼ)のあぜ道に入ります。
今日もいました。
アオサギさんです
ズームで焦点を合わせようとすると、どこかに飛び去ってしまいます
ひめちゃんは、情報収集です。
誰か通ったかな?
無量寺界隈を歩いて、帰りました。
ガードレールの影でも、ありがたいでふ
みやま文庫『上州の観音札所』(昭和55 内山信次)に、
上毛佐波郡卅四所、廿四番に、「伊与久 龍昌院 正観音」があります。
大きな塚のような山を背にした龍正院は、山号を赤城山という。古い地図にこの山の裏に⛩の印がある。現在は社はない。ここは赤城山を配する神仏共存の施設としての長い時があったのであろう。札所の佛は厄除け薬師観音という。
法のはな 枝折(しおり)て深く 分け入れば ここも赤城の 山のふる寺
伊与久沼付近の地図を眺めて、どうして山号が赤城山なんだろうと不思議に思ったものでした。
なんとなく納得です
7月19日、新田へ行く途中、寄ってみます。
駐車場には、すでにたくさんの石造物です
背中にこんなに子どもを乗せたママさんカエルは、初めてです
紫陽花の次の季節の花、サルスベリやカンナも咲いています
みなさんに合掌
新義真言宗ですか
素人にはわかりません
寿久茂塚古墳ですって
裏の山は古墳ですか
旧佐波郡でよく見かける、観音霊場巡りの案内があります。
開基由来 当院は、戦国時代の武将大谷平馬吉継の孫の五右衛門隆昌が伊与久に蟄居、厩橋城主酒井公に奉仕、大坂冬の陣と夏の陣に出征。この功績を認められ徳川幕府より五十石受領、伊与久郷に除地拝領し出家し竜昌(隆昌)院を建立したと伝えられている。裏山にこの隆昌の墓地がある。
あの大谷刑部の孫が開基ですって
さて、これから先は、お寺のメイン部分です。
こちらにも、石造物がいっぱいありそうです
御朱印をいただきましょう
(つづく)