奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

松阪・伊勢・鳥羽旅行4 伊勢神宮内宮

2024-06-08 21:13:02 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽旅行に行きました。そのときの写真を出し忘れていたので、だいぶ遅くなったのですが、出すことにします。今回は10日に伊勢神宮内宮へ行ったときの話です。





宿泊地は鳥羽でした。ホテルの窓から見た鳥羽湾の風景です。たくさん並んでいるイカダは釣り用のようです。



この日は近鉄で五十鈴川駅まで行き、そこからバスに乗って伊勢神宮内宮に行きました。鳥居が見えているところが五十鈴川にかかる宇治橋です。







ふと見ると、シイの花が真っ盛りでした。



宇治橋の手前です。



これは五十鈴川の上流側を撮ったものです。杭は倒木などを防ぐためのものだそうです。



こちらは下流側です。綺麗な川ですね。



宇治橋を撮りました。



宇治橋を渡ったところが神苑です。





ふと空を見ると、ワシタカが飛んでいました。家に戻ってから調べると、どうやらサシバのようです。



前方に見える橋が火除橋です。





そして、第一鳥居です。



そこから右に行くと御手洗場があり、たくさんの人が来ていました。





五十鈴川は本当に清らかな流れですね。







その近くで咲いていました。Googleレンズで調べると、マルバウツギのようです。





これはオニカナワラビかなと思いました。



これはクロスジシャチホコ



これはオオカナワラビかな。伊勢神宮は植物が豊富ですね。



これは神楽殿。



その先の参道です。



そして、正宮に着きました。去年も来たのですが、正宮は本当に質素な建物です。ただ、ここは撮影禁止なので、写真はありません。この後、荒祭宮に行ったのですが、続きは次回に回します。

鳥羽湾の景色と植物2

2024-06-03 20:28:42 | ちょっと足を伸ばして
5月10日の鳥羽旅行のときにホテル周辺で撮った鳥羽湾の景色と植物の続きです。





セリ科の植物です。Googleレンズで調べると、アシタバと出たのですが、どうだか分かりません。





これはハマダイコン



鳥羽湾を写しました。朝陽で海が光っています。





これはマルバウツギ



またまた鳥羽湾を写してしまいました。





これはトベラ



それにスイカズラ





ユキノシタが咲いていました。





これはトケイソウ。栽培種が逸出したのでしょう。





そして、ウツギ。ここで、一旦ホテルに戻りました。



ホテルから外を見ると、トビが止まっているのが見えました。





まだ、7時半。朝食は8時に予約したので、まだ少し時間があります。それで、家族ともう一度海岸に出てみました。これはツルナ。食用になります。





ツルナはこんな感じで生えていました。





これはコセンダングサ







ものすごくたくさんの花が咲いていますが、これはトキワサンザシです。





そして、また、ハマダイコン。実が面白い形をしていますね。





家族が気が付きました。何かキノコのようです。Googleレンズで調べると、スエヒロタケというスエヒロタケ科のキノコが似ています。





これはまたトベラの花。





そして、これはハマヒルガオ

鳥羽湾の景色と植物

2024-06-02 19:52:53 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで、三重県の松坂、伊勢、鳥羽に旅行に行きました。宿泊地を鳥羽のホテルにしたので、朝早くホテルの周辺を歩いてみました。





9日は松阪で松坂城と本居宣長記念館に行った後、5時前に鳥羽のホテルに着きました。窓から見ると、鳥羽湾の素晴らしい景色が見えました。



夕方になって空が色づいてきました。小さな島が三つ並んでいます。三ツ島という名前のようです。



いっぱい並んでいるのはイカダです。



そのイカダにサギが来ていました。嘴が黒いのでコサギかなと思ったのですが、ダイサギのような感じです。






そして、翌10日の朝になりました。6時半ごろだったのですが、朝食を8時に予約したので、それまでホテルの周りを散歩してみることにしました。



シャリンバイの花が咲いていました。



これはノハカタカラクサ



海岸を歩いてときどき景色を撮りました。





これはハマダイコンだと思います。





これはコマツヨイグサかな。



ハクセキレイがいたので撮ったのですが、ちょっとピンボケ。



水面に朝陽が写って綺麗でした。





栽培種が逃げたようです。Googleレンズで調べると、バーベナ Verbenaというクマツヅラ科の花が似ています。





これはマメグンバイナズナ









このシソ科の花に手こずっています。Googleレンズで調べても、写真が悪いのかどうもピンときません。イヌトウバナあたりが似ているかなと思ったのですが。







これも栽培種の逸出かなと思うのですが、ジャスミンに似ています。まだまだ続くのですが、今日はこの辺で。

松阪・伊勢・鳥羽旅行3 松坂城、歴史民俗資料館

2024-05-29 20:29:51 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで、三重県の松阪、伊勢、鳥羽に旅行しました。5月9日は松阪駅で降りて、本居宣長記念館に行った後、松坂城に行きました。





本居宣長旧宅を過ぎると、すぐに松坂城天守閣のあった本丸に行くことができます。



上に登ってみると、だだっぴろい広場になっていました。



その広場の片隅に本丸跡がありました。松坂城は1588年に蒲生氏郷が築城したのですが、3年後に陸奥黒川に移封されてしまいます。その後、服部一忠、古田重勝と城主が変わりました。1619年に徳川頼宜が和歌山藩主になると、紀伊国と伊勢国を合わせて55万石を治めるようになり、松坂城には城代が置かれました。その25年後に台風により天守閣が倒壊したとのことです。その後、明治時代になると廃城になり、二の丸御殿が焼失した後、1881年からは松坂公園となっているそうです。



片隅にあったのですが、これは何でしょうね。





カナメモチの花が咲いていました。



降りる途中で撮った写真です。お城は結構高い場所にあるので、見晴らしがいいです。





その先に歴史民俗資料館がありました。ここはもともと明治45年に建った飯南郡図書館の建物でしたが、昭和52年からは資料館になっているそうです。



こちらは玄関。





入り口の横には鬼瓦がいっぱい置かれていました。





建物に入ったところに受付があり、その奥は薬種商の店が再現されていました。



内部の様子です。





この辺りは小説家の梶井基次郎の展示になっていました。





初午大祭のときに売られていたという「ねじりおこし」は浅草の雷おこしのもとになったようです。



展示場をぐるっと見て回りました。



蒲生氏郷所用と伝わる銀鯰尾形兜です。



蒲生氏郷の展示です。



そして、松坂城復元ジオラマでした。





二階は映画監督の小津安二郎の展示になっていました。



歴史民俗資料館を出て歩いていたら、マンホールのふたが鈴の模様になっていました。

松阪・伊勢・鳥羽旅行2 本居宣長記念館

2024-05-26 21:30:07 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで、三重県の松坂・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。今回はその2回目で、松阪市にある本居宣長記念館と本居宣長旧宅についてです。



本居宣長記念館2階に上がると、「宣長ってどんな人?」という展示がありました。



その横には「文字鎖」という面白いものがありました。要は、57577からなる歌のそれぞれの頭文字が大きな字で書かれています。これを縦に上から読んでいくと一つの歌になり、下から読んでも、横から読んでも、果ては斜めに読んでも歌になっていくという仕組みです。



展示室の中の様子です。



中には「古事記伝」などが展示されていました。これは「古事記伝」再稿本だそうです。





そして、これは「古事記伝」初稿本で宣長自筆だそうです。宣長(1730~1801)は34歳の頃から古事記の研究を始め、1798年68歳のときに「古事記伝」を書きあげました。その間に書かれた初稿本、再稿本が伝わっています。さらに、1785年から出版の話が出始め、1786年に息子の春庭が版下を書き始め、1790年から1822年に版本が出版されたそうです。初稿本、再稿本はカタカナ交じりで、版本はひらがな交じりで書かれています。自筆本は実にしっかりした字で書かれていて、思わず見惚れてしまいました。



これは契沖の「枕詞鈔」を宣長が写したもの。



そして、神代紀の草稿本だそうです。



これは宣長像。



薬箱。



それに旧宅にあったもの。



最後は地図。世の中に流布している地図は城下町や名所など部分的なものばかりで全体が描かれていないといって、宣長が日本全図を描いたものです。





記念館を出て、旧宅に行ってみました。ここは旧宅跡にあった建物を移転したものです。







入り口のツツジにナガサキアゲハが来ていたので、撮りました。





旧宅の1階は中に入ることができました。



2階が宣長の書斎になっていて、鈴が付けられていたので、「鈴屋」と呼ばれていたのですが、残念ながら2階に上がることはできませんでした。







家の内部をいろいろと撮りました。





これは隣にあった鈴屋遺蹟保存会の旧事務所で明治42年に建てられたものだそうです。



建物の前には立派なソテツが植わっていました。

実は、私は子供の頃、三重県の小学校に通っていたので、三重県の偉人として本居宣長のことを習いました。それで、本居宣長はとにかく偉い人なんだと思っていました。それが、最近、奈良市にある率川神社のことを調べ始め、率川神社で行われている三枝祭の起源を調べる中で、宣長の書いた「古事記伝」を読む機会がありました。三枝とは何かという話で、どんなことが書かれているのだろうかと楽しみにしていたのですが、いざ、読んでみると、過去の文献が多数引用はされているものの、宣長自身の考えがはっきりしないし、また、全体の論旨もはっきりしません。さらに、「日の神論争」と呼ばれ、上田秋成と論争を広げたという話があるのですが、その中で宣長の主張している内容があまりにも頑ななので、私の中の宣長像がだいぶ崩れてしまっていました。でも、この展示会を見て、何となく宣長の偉大さがまた感じられるようになりました。