3月7日、家族と一緒に大和郡山で行われているひな祭りを見物に行きました。
「大和な雛まつり」と称して、商店などの窓際でひな人形を飾る催しです。この日が最終日でした。
最初は源九郎稲荷神社です。「源九郎」という名前が付いているのは、いくつかの説があるようですが、Wikipediaによると、「義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御前を守り通した。義経はその白狐の忠義に感服した。狐の意中の物は、親の皮で出来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許した。」とのことです。
ひな人形は2か所で飾られていたのですが、いずれもつるし雛があり、たくさんの人形が飾られ、大変賑やかなものでした。
次は、箱本館「紺屋」に行ってみました。箱本は豊臣秀吉の弟である秀長の時代に、城下町の営業上の特権を示す御朱印帳を入れた箱を持ち回りで守ったという箱本制度によるもののようです。詳細は大和郡山市のサイトに載っていました。
そこでも、つるし雛が見事なひな人形が飾ってありました。
これはそれを横から見たものです。つるし雛は伊豆の稲取で始まった風習のようですが、その後、全国に広がったようです。
大和郡山らしい金魚のお雛様もありました。写真がはっきりしないのですが、お雛様は「桜錦」、お内裏様は?、三人官女は「オランダ錦」と「琉金」、五人囃子は「出目黒」とメダカだそうです。
「大和な雛まつり」と称して、商店などの窓際でひな人形を飾る催しです。この日が最終日でした。
最初は源九郎稲荷神社です。「源九郎」という名前が付いているのは、いくつかの説があるようですが、Wikipediaによると、「義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御前を守り通した。義経はその白狐の忠義に感服した。狐の意中の物は、親の皮で出来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許した。」とのことです。
ひな人形は2か所で飾られていたのですが、いずれもつるし雛があり、たくさんの人形が飾られ、大変賑やかなものでした。
次は、箱本館「紺屋」に行ってみました。箱本は豊臣秀吉の弟である秀長の時代に、城下町の営業上の特権を示す御朱印帳を入れた箱を持ち回りで守ったという箱本制度によるもののようです。詳細は大和郡山市のサイトに載っていました。
そこでも、つるし雛が見事なひな人形が飾ってありました。
これはそれを横から見たものです。つるし雛は伊豆の稲取で始まった風習のようですが、その後、全国に広がったようです。
大和郡山らしい金魚のお雛様もありました。写真がはっきりしないのですが、お雛様は「桜錦」、お内裏様は?、三人官女は「オランダ錦」と「琉金」、五人囃子は「出目黒」とメダカだそうです。
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