奈良散策 第1392弾
大晦日に神社の参道に砂の道が作られるというので、27日に大和郡山市白土町にある白坂神社に下見に行きました。ついでに、少し南にある横田町の和爾下神社にも行ってみることにしました。白坂神社から和爾下神社までは1.7 kmほど。まあまあの距離でした。
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白土町から横田町に行く途中です。こんな道を歩きました。
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途中、こんなにたくさんの鳥居が立っている神社があったので、寄ってみました。小女郎稲荷神社だそうです。大阪市城東区のホームページによると、小女郎稲荷は「大和郡山の源九郎稲荷(げんくろういなり)、泉州信太(せんしゅうしのだ) の葛葉稲荷(くずのはいなり)と並ぶ有名な稲荷大明神」だそうです。
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お稲荷さんだけあって、狐が置かれていました。ネットで調べると、小女郎狐は歌舞伎・浄瑠璃の外題になっているそうです。
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これはその横にあった石碑です。
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そのすぐ南に高瀬川が流れていました。
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そして、そのすぐ南に和爾下神社がありました。延喜式神名帳に載っている和爾下神社二座のうちの一つです。もう一座は天理市櫟本町にあり、この間、行ったところです。
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拝殿はやはり割拝殿になっていました。
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その奥には幣殿がありました。
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境内社がたくさんあります。
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本殿を撮ってみました。大和郡山市の観光案内によると、「祭神は素戔嗚尊・大巳貴命・奇稲田姫命。かつて治道村に住んでいたという横田物部氏の氏神であったと見られている。」とのことです。ただし、「特撰神名帳」によると、素戔嗚尊というのは後世のもので、もともとは櫟井臣和爾部臣の祖神を祀っていたのではないかということでした。
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