秋田を出て数時間、世界遺産に登録された平泉に到着。
平泉と言えば中尊寺、毛越寺。
今回は時間の都合上、中尊寺のみの見学です。
観光バスは、中尊寺の南参道途中まで入ることができます。観光バス以外は、月見坂を頑張って
徒歩で進まなければならないので、バスはちょっとだけ楽が出来ます。
バスを降りると蓮が咲いていました。

これは「中尊寺ハス」といい、藤原氏四代・泰衡公の棺おけから発見されたハスの種が
平成10年に開花したものだそうです。
こちらは特に名前はないけど、金色堂に続く道。
歩いていて気持ちがよかったです。

金色堂に到着。

金色堂はこの建物の中にあります。
残念ながら撮影禁止。
私は中2の時に中学校のお泊りで平泉にきているので、今回で2回目の見学。
あの時はあまりのキラキラ
にただただビックリしました。
今回は人が多くて、ゆっくりなんて見ていられず、さらっと見るだけ。
しばらくは混雑して、見るのが大変そうです。
うまく撮影できなかったけど、こちらは以前、金色堂を覆っていた建物内部。
旧覆堂は案内板によると「金色堂を風雪から護るため正応元年(1288)に鎌倉幕府によって
建てられた五間四方の堂で、古くは「鞘堂」と呼称。芭蕉をはじ め多くの文人墨客、参詣の人は
この堂内に入り、薄明の中に金色堂を参拝したわけである。昭和38年に新鞘堂が建設されて、
旧位置より移築。」とあります。

平泉と言えば松尾芭蕉ですね。
中尊寺敷地内にも句碑などあります。

「五月雨の 降り残してや 光堂」
芭蕉像と奥の細道碑

松尾芭蕉がここ、平泉で詠んだ句が「五月雨を 降り残してや 光堂」
光堂とは金色堂のことで、金色堂の素晴らしさにただただ感動して、
詠んだと言われる句です。
敷地内には宮沢賢治の詩碑もあったそうですが、見かけませんでした
いくつかのお堂を見ながら本堂に到着。
「本堂は中尊寺の中心となる施設でその規模も最大です。奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、
建武4年(1337)には火災により多くの堂宇と共に本堂も 焼失しました。近世に入ると伊達藩の
庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の
居館であった一関城より万治 2年(1659)に移築されました。山門は薬医門形式で左側に脇門が
あるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。現在の本堂は明治42年(1909)に再 建されたもの
ですが比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や様々な儀式などが執り行われています。」
とのことです。


とにかく人が多くて多くて・・・。
こちらは弁慶堂。
弁慶堂は、中尊寺の参道沿いにある建物で、入母屋の金属板葺きの屋根でかなり細かい彫刻が
施されています。案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年 (1826)の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の
木像を安置す。弁慶像は文治 5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に
立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負っ た笈がある
代表的鎌倉彫である。」とのことです。

東物見(だったと思う)から見る北上川

見えませんが、陸橋を交差するように衣川が流れています。
あんまり好きじゃなかったはずなんです、こういう田舎って。
でも、この景色はいいなあと思います。
あっという間の中尊寺見学。
この後はこの旅最後、仙台七夕祭りへ向かいます。