今日は何色?

保護猫、ななも7歳。
大人になり落ち着いてきましたけど、まだまだ遊ぶの大好きです。

今更ですがホームベーカリー

2011-09-03 18:39:47 | おうちごはんに手作りパン

実家では、最近ホームベーカリーを買いまして、母がすっかりはまっておりました。

 

母が買ったのは、実にシンプルな物で、いろんな機能がついているわけではありません。

毎日食べるパンが焼ければOKなので、これで十分。

 

私も持っていますが、駐在に出る前に買ったものなので、型はかなり古いのだけど、

いろんな機能がついています。

が!

いろんな機能なんて使っていません。

手捏ね面倒なときの生地作りくらい。

 

そんなもんです。

 

母が買ったのは、何度も書いてしまいますが、パンが焼けるだけというもの。

ですが、私の持っている物にはない機能が!

正確には機能ではなく、こんな感じなんです。

中が見える~

 これはすごいです、見ていておもしろーい

発酵中なり

焼けてきた

完成

 

ちょいと色が濃いのと、焼きすぎ感があったので、次に焼いたときは

5分前に取り出したらちょうどよかったです。

 

写真は撮ってこなかったけど、実家の食器洗浄機が壊れて新しい物に

なっていました。

それも中が見えるんですよ~

 

面白すぎます、中が見えるって。

 

次は何の中が見えるんだろう???


久しぶりの七夕まつり

2011-09-03 15:25:46 | Travel(国内編)

ほぼ時間通りの15時半頃、解散場所の仙台駅に到着。

 

今回のツアーは最初の方に書きましたが、往復新幹線の時間は参加者たちで

決めることができました。

私たちは18時台の新幹線を希望していたので多少渋滞などあって、遅れたとしても

間に合う新幹線でした。

 

ツアー客の中には七夕は見ずに16時台の新幹線を希望していた方もいたようですが、

その方たちにとっても、余裕で間に合いました。

前日に解散したツアーは何人か希望の新幹線に乗れなかったというし、昨年の同じような

ツアーでは参加者の半数が希望の時間に乗れないくらい遅れたとのこと。

 

理由は渋滞だけでなく、参加者の意識の違い。

5分の遅れは大したことではなく、積もり積もれば大変な遅れになるということ。

これがどれだけ大変なことか。

 

今回の参加者は常に5分前行動でした。

1箇所で1分遅れたことがありましたが、この1回だけという優秀な参加者たちです。

名残惜しいですが、仙台駅からはそれぞれ別行動です。

お世話になった添乗員さん、ガイドさん、ドライバーさんとお別れし、母と2人で

七夕見学です。

 

七夕のメイン会場は一番町通り。

お土産も買わなくちゃならないので、私たちが見学できる時間はおよそ1時間。

一番町通りまでは人出の多さを考えるとちょっと難しいので、

名掛丁商店街と中央通を歩きました。

 

いくつかの七夕飾りを紹介しますね。

震災後ということもあり、こういった飾りも。

こちらは南三陸町の歌津中学校避難所の方々が作られた飾り。

「こころひとつに」

 

こちらは全て千羽鶴。

仙台市内の小中学生が学校単位で作ったもののようです。

私が通っていた小学校もありました\(^o^)/

 

七夕は、住んでいた頃に見にいった記憶があります。

ただ、住んでいるときは小学生で、ただ飾ってある七夕飾りを見るのは

つまらなかったと記憶しています。

人もとにかく多いし。

 

でも、今年は私も大人になった上に、震災後。

いろんなことが頭を過ぎりました。

 

帰り、お土産を買い、新幹線で食べるお弁当を買いました。

 

たくさん種類があってとても迷ったのだけど、お店の方が言うには

「これでもいつもより少ない」と。

タダでさえ少ないのに、このとき牛肉の出荷制限があったので、

牛肉を使ったお弁当は出せなかったそうです。

お弁当の中に、お品書きがあったけど、それと一致していないものもあります。

今まで使っていたけど、使えない材料って多いようです。

 

帰りの新幹線の車窓から、仮設住宅が見えました。

福島県内では、この時、新潟・福島で大雨が降り続いていたこともあり、

冠水している道路や屋根瓦にビニールシートがかぶせてあるおうちがたくさん見えました。

 

早くホントに復旧・復興して欲しいと願うばかりです。

 

今回の旅行は、初めて母と2人で出掛けました。

母娘2人旅ってしてみたかったけど、なかなか日程や行き先に悩んで行けなくて。

母にとっても私にとっても懐かしい街への旅行、

地震の後ということもあって、考えることも多く、今行くべきなのかな?とも思いましたが、

行ってよかったです。

 

普段から母とは話をしているけど、旅行はまた別。

すぐは無理だけど、また出掛けたいものです。

 

 


世界遺産平泉に到着。

2011-09-03 14:39:45 | Travel(国内編)

秋田を出て数時間、世界遺産に登録された平泉に到着。

平泉と言えば中尊寺、毛越寺。

今回は時間の都合上、中尊寺のみの見学です。

 

 

観光バスは、中尊寺の南参道途中まで入ることができます。観光バス以外は、月見坂を頑張って

徒歩で進まなければならないので、バスはちょっとだけ楽が出来ます。

 

バスを降りると蓮が咲いていました。

これは「中尊寺ハス」といい、藤原氏四代・泰衡公の棺おけから発見されたハスの種が

平成10年に開花したものだそうです。

 

こちらは特に名前はないけど、金色堂に続く道。

歩いていて気持ちがよかったです。

 

金色堂に到着。

金色堂はこの建物の中にあります。

残念ながら撮影禁止。

私は中2の時に中学校のお泊りで平泉にきているので、今回で2回目の見学。

あの時はあまりのキラキラにただただビックリしました。

今回は人が多くて、ゆっくりなんて見ていられず、さらっと見るだけ。

しばらくは混雑して、見るのが大変そうです。

うまく撮影できなかったけど、こちらは以前、金色堂を覆っていた建物内部。

旧覆堂は案内板によると「金色堂を風雪から護るため正応元年(1288)に鎌倉幕府によって

建てられた五間四方の堂で、古くは「鞘堂」と呼称。芭蕉をはじ め多くの文人墨客、参詣の人は

この堂内に入り、薄明の中に金色堂を参拝したわけである。昭和38年に新鞘堂が建設されて、

旧位置より移築。」とあります。

 

平泉と言えば松尾芭蕉ですね。

中尊寺敷地内にも句碑などあります。

「五月雨の 降り残してや 光堂」

 

芭蕉像と奥の細道碑

 

松尾芭蕉がここ、平泉で詠んだ句が「五月雨を 降り残してや 光堂」

光堂とは金色堂のことで、金色堂の素晴らしさにただただ感動して、

詠んだと言われる句です。

 

敷地内には宮沢賢治の詩碑もあったそうですが、見かけませんでした

 

いくつかのお堂を見ながら本堂に到着。

「本堂は中尊寺の中心となる施設でその規模も最大です。奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、

建武4年(1337)には火災により多くの堂宇と共に本堂も 焼失しました。近世に入ると伊達藩の

庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の

居館であった一関城より万治 2年(1659)に移築されました。山門は薬医門形式で左側に脇門が

あるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。現在の本堂は明治42年(1909)に再 建されたもの

ですが比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や様々な儀式などが執り行われています。」

とのことです。

とにかく人が多くて多くて・・・。

 

こちらは弁慶堂。

弁慶堂は、中尊寺の参道沿いにある建物で、入母屋の金属板葺きの屋根でかなり細かい彫刻が

施されています。案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年 (1826)の再建である。

藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の

木像を安置す。弁慶像は文治 5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に

立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負っ た笈がある

代表的鎌倉彫である。」とのことです。

 

 

東物見(だったと思う)から見る北上川

見えませんが、陸橋を交差するように衣川が流れています。

あんまり好きじゃなかったはずなんです、こういう田舎って。

でも、この景色はいいなあと思います。

 

あっという間の中尊寺見学。

この後はこの旅最後、仙台七夕祭りへ向かいます。