少しご無沙汰してしまいました。
11月11日に入院し12日に部分摘出手術を受け、昨日14日に退院しました。
なんと3泊4日で退院!先生、1週間くらいと言っていたじゃないですか~。
と言いたくなるような日程でした。
1週間のつもりで母に来てもらうとか、旦那さんの仕事の調整をしてもらうとか様々準備しましたが、早く帰れるならそれはそれでいいわけで。
少し長くなりますが、入院から退院まで一気に書きたいと思います。
11月11日10時に入院でしたが、病院へ到着すると入院受付はかなり混雑。いつもこうなのか月曜だからなのかわからないけど、10時に病院へ行くことがなかったのでこんなに入院する人がいるんだなあと驚きました。
30分近く待ちましたが無事手続きが終わり病棟へ。
病棟へ到着するとここで送ってくれた旦那さんとはお別れです。
病室へ入ると主治医の名前が違います。
看護師さんから「チームで動いているので」と。
主治医と執刀医って違うの?ちょっと疑問のまま、持ってきた荷物もそのままですぐにリハビリセンターへ呼ばれ、
先生と数分の面談の後に理学療法士から説明を受けます。
手術後にすぐ腕を上げるリハビリを開始するので、術前に腕がどこまで上がるかを測って術後に術前と同じ角度にあげられるようになるまでリハビリは続くそうです。私は180度上がったのでリハビリ終了の目安は180度です。
ハードル上げ過ぎたか・・・。
リハビリセンターから戻ると荷物を片づけ早めのお昼ごはんです。
とてもおいしくいただきました。
その後、核医学検査にこの日入院した他の患者さん2人と向かいます。
核医学検査とはなんなのか?
私が受けた検査は「センチネルリンパ節シンチグラフィ」という検査でこの検査は、
乳がんの患者さんの手術前に行う検査で、少し前までの乳がん手術では腋の下のリンパ節をすべて取っていたが、リンパ節をすべて取るとリンパの流れが滞りその結果、リンパ節を切除した方の腕が腫れたり、むくんだりする場合があるそう。現在の乳がん手術の方法は、必要とされる方のみにリンパ節を切除する方向に変わってきているらしいです。
乳がんの癌細胞はリンパの流れにそって最初に到達した、癌にもっとも近いリンパ節(これをセンチネルリンパ節という。センチネルとは、見張り番という意味)を通ってから全身に広がる性質があると考えられていて、センチネルリンパ節としては、腋の下のリンパ節がもっとも多く、これを通らず、いきなり首やおなかの中のリンパ節に転移することはないと考えられているそうです。
この検査は癌細胞ちかくのリンパ節、つまりセンチネルリンパ節はどこにあるかを調べる検査で、乳がんの病巣を超音波検査で見ながら印をつけた後、この印のそばに薬を注射します。その後、1時間たってから撮像を行うことによって、癌細胞近くのリンパ節に注射した薬が集まるので、手術中、色素法と合わせ、リンパ節を取って、その中に癌細胞がいないかどうかを確認するそうです。
この注射、「とっても痛いので覚悟してください」と言われました。
どのくらい痛いんだろう?と今まで痛かったものを思い出し「針生検より痛いですか?」と最初に乳がんかどうか調べたときの痛みと違うか聞いてみたところ、「こっちの方が痛い」と言われました。
ああ嫌だ嫌だ・・・先生は躊躇することなく「チクッとしますよ」と言いましたが「チク」どころじゃないです、そしてすぐ「お薬はいります、痛いですよ」と。
針さすより薬が入るほうが痛かったです。
その後、1回目の検査を15分ほどかけて行います。ただ寝ているだけなのでどうってことないけど暇です。
なぜ時間をおいて2回するのか聞いたところ、「1回ではわからない場合があるから」だそうです。
2回目はおよそ1時間後なので、一度病室へ戻ります。
その時に一緒に入院した方のおひとり(ここではママさんと呼びます。)ママさん一緒になり、初めてお話をしました。
とても話しやすい方で病室まで一緒に戻りました。
病室に戻ると今度は麻酔科に呼ばれます。
麻酔科では手術で使う麻酔の話、副作用など説明され同意書にサイン。
終わるともうすぐに2回目の核医学検査に移動。
2回目は15分ずつ違う検査機器で検査で、後半15分は疲れて寝ちゃいました。
15時半すぎに本日の予定が終わり、ようやくお友達からいただいたはちみつ紅茶で一息付けました。
ただ、部屋がとにかく暑い。部屋にいるだけで汗が出てきます。
11月の割に暖かいということもありますが、もう暑くて暑くて廊下にでるとママさんが廊下に。
声をかけると「部屋が暑くて暑くていられない」と。
ママさんと私とは手術にたどり着くまでの過程も違うし全摘なのか部分切除なのかも違います。が、やはり3泊4日で退院予定。
技術は進歩しているんだなあと実感しました。
私のガンは痛くてかゆいです。
ここ1、2週間はかゆみがひどかった。
取ることで痛みもかゆみもなってほしい。
夕方、私を診察していた先生Aと主治医のB先生、もう1人C先生がいらっしゃいました。
手術にはこの3人が入ると。
かゆみのことを聞くと「かゆみはなくなると思う」と。
痛みはホルモンの関係かもしれないからわからなさそう。
この日は0時から絶食なので手術前最後の食事がこちら。
美味しく完食しました。
この日の夜は眠れたかと言えば眠れませんでした。
眠ったけど目が覚めてしまい、またすぐ眠るけど目が覚めるの繰り返し。
寝ていて腰が痛いのもあったし暑かったのも理由。もちろん、多少手術前の緊張とかもあったかなとも思うけど。
朝は8時までお水を飲むことができるので、それまでは結構飲みました。
手術は2番目で11時半予定。
朝、A先生が来て「外来があるから入室の時に僕はいないけど」と。
え?外来してからすぐ手術入るの?お医者さんって大変な仕事ですね。
10時過ぎに看護師さんが来て「早まりそうだから弾性ストッキング履いておいて」と。
弾性ストッキングは適度に加圧することで下肢の血流の滞りを予防する役割があります。
履き方もあって、説明書を見ながら少し苦戦しながら履きました。
ちょうどそのころ看護師さんがやってきて「10時50分に出発するのでそれまでにトイレに行っておいてね」と。
ああ、ついにその時がやってきました。
10時50分、看護師さんと出発です。
手術室って病院によっても違うと思いますけど、ここは入ったらたくさんのスタッフさんが動いていて、この日1日で一体何件の手術をするんだろう?という感じでした。
ベッドに寝かされて麻酔の先生が話す声が聞こえていて、何を話しているのかと言えば「あるけど細い」と。
私の血管が見つからないらしい・・・結局右手首に針が刺さりました。
そして麻酔の薬の話をされていると咳が止まらなくなり、「ごめんね、咳が出る薬なんだよ」と聞いたのが最後。
麻酔科の先生に起こされたのは2時間ちょっと経ってから。
私何か楽しい夢を見ていて。でもそれがどんな夢だったのかは全く思い出せません。それを伝えると、
「もし夢を覚えていたら、ぼく怒られちゃうんだ」と。
ああ、そうなんだそういう薬なんだ。
それからよくテレビで見るベッドごと病室に運ばれる状況に。これって結構気持ち悪くて揺れもそうだし頭がちょっと低くて気持ち悪い。
エレベーターに乗るのに方向を変えたりするけど、それも気持ち悪い。
病室に着くと担当の元気な看護師さんが「ちょっと起こそう」とベッドの頭を起こしてくれて足にはフットポンプが付けられました。
水が飲みたいというと「3時間我慢」と。
そして暑いことを言うと、アイスノンを用意してくれてそれでかなり気持ちが良くなりました。
そこからは記憶がおぼろげで、多分寝たり起きたり。ただ、寝る前にスマホだけは枕元に置いてもらったので母と旦那さんに連絡。
3時間経つ頃に看護師さんがやってきてポンプを外してくれてトイレに行けました。
なにげなく左手でトイレの扉を開けようとしたらちょっと痛くて開けられず。手術したんだなあ私。
術後最初の尿は薬の影響で色がつくことがあると聞きましたが、そんなの見る余裕なし。
ベッドに戻って寝ていると旦那さんがやってきました。
家族がいたほうがいい人とそうじゃない人といますが、私はいなくていい人。
母にはななのお世話に徹してほしいし、旦那さんも先生が「旦那さんがいたほうがいい」と言った日は時間を作ってくれたのでね。
旦那さんがいる時間にA先生が回診に来てくれました。
何を話したか実は覚えてません。詳しい話は多分していなくて「無事に終わってよかったですね」的な話だけだったような・・・。
この日の夕食はゼリーやプリンということで旦那さんに買ってきてもらいました。
2つ買ってきてくれたけど、1つ食べるのがやっとでした。
ここから私、頭痛に悩まされます。
寝ても覚めても頭が痛い。痛み止めを出してもらうけど(アセトアミノフェン)これがまあ効かない。
効いても2時間程度でそのあとも鈍い痛み。
そりゃあ普段ロキソニン飲んでいるのだから効くわけないか。
ただ、この時は何を出されているのかよくわかっていません。
翌朝早い時間に麻酔科の先生がいらして、現状を聞き取りします。
頭が痛いのは2,3日続くとのこと。痛み止めも我慢せずに飲んでと。
この後朝ごはんでしたが、ほとんど食べられませんでした。
パンだったので甘いジャムをたくさんつけてみたけどダメ。牛乳はとりあえず飲んでバナナも後で食べられるかな?とキープ。
なるべく早くベッドから出たほうがいいというけど、頭が痛いのなんの。それでも何とか頑張って歩きに廊下に出たところママさんと会いました。
ママさんは頭痛もなく元気。
お腹がすいちゃってゼリーもちゃんと食べたし、大福を食べる夢を見たからご家族に大福を買ってきてもらうそうです。
すごいな・・・。ママさんはご家族がゼリーやプリンをたくさん買ってきてくれたそうで食欲がない私に分けてくれました。
そしてシャワーを浴びたというので私も浴びました。
少しスッキリしたけど、お昼ごはんも1割くらいしか食べられず。食べてもおいしくない。
いただいたプリンを一口食べたけどおいしくない。
そうこうしているうちにリハビリセンターから呼ばれます。とにかく頭が痛いので頭痛薬を先に飲んでからリハビリへ。
リハビリセンターはエアコンが効いていてかなり快適。
どうやら乳腺外科からリハビリに来た患者さんたち「病棟が暑い」という話をしていたそう。やっぱ暑いよね、あれは暑いんだ、私だけじゃないんだとちょっと安心。
頭痛いけどリハビリ開始。
・前に棒(タオルでも可)を持って上下に30回
・左右に30往復
・左手を壁について上に30回
・横を向いて上に30回
・ベッドで腕を頭に付けて広げる
これが終わって腕を上げて角度を測ると175度でした。
頑張って朝昼晩の3回やりましょうと。
次回の診察時にリハビリの予約も入っているので、そこで180度に達せばリハビリ終了です。
頭が痛いのはまだ続き、回診に来たB先生に話すと「アセトアミノフェンからロキソニンに変えられると」。
即変えてもらうことにしました。
でも飲めるのは14時に飲んでいるので20時。でも、後からわかりましたけど、成分が違うから6時間開けなくても良かったらしいです。
我慢しないで言えばよかったなあ。
とはいえ、このロキソニンもなかなか効かないままなので夕飯もほとんど食べられず。
ママさんからいただいたプリンを食べてみたら、昼間よりは美味しかったので食べきりました。
頭痛は続いているので消灯前に寝て、夜中ナースコールをしてロキソニンをもらいました。
それが少し効いたのか痛みはあるけど、朝ごはんは全部食べられました。
そう、3泊4日なのでこの日私退院なんですよ。
こんなに頭痛いのにホントに退院するの?私?
不思議なことに入院中頭の中を無限ループしていたのは、THE ALFEEの「シンデレラは眠れない」。
なんででしょうねえ。
入院の期間について看護師さんに聞いたら3泊4日は乳がんでは早い方で、管が入るともう少し長くなるとのことでした。
私は管、入ってない。
そういえば手術後にA先生が来たときにリンパも心配ないとか言っていたようないないような・・・。
退院前、最後に傷を見に来たB先生にロキソニンとアセトアミノフェン両方出すと言われこの時、6時間あけなくても成分が違うから飲んでいいと説明されました。
もっと早く教えてくれたらよかったのになあ。
その後、A先生も来て傷の確認をしてくれました。
傷はすでにふさがっているので、テープがはがれたらはがしていい、気になるようなら絆創膏貼っておいてと。
退院は10時でそれまでに退院後の注意点や飲み薬の説明が看護師さんからありました。
私より先にご家族がお迎えに来たままさんが病室に寄ってくれて、お友達になってお別れしました。
次の診察は同じ日なのですが時間が午前午後と違っていて残念ながら会えません。
年に数回、この病院では乳がん患者の集まりがあるそうなので、そこで会えるかなと話してお別れ。
そして旦那さんがお迎えに来たので病院を後にし自宅に帰りました。
自宅に戻るとななは押し入れで寝ていて、荷物を片づけていると出てきました。
頭痛があるのでもらった薬を飲んでソファに座るとすぐにななはやってきて、
そうきましたか~。
ななと2,3時間寝たらちょっと頭がスッキリ。
母にも「帰ってきたときよりも覇気がある」と。
麻酔科の先生が言った通り2,3日で頭痛は良くなった感じです。
同じ日、梅宮アンナさんが退院しました。
アンナさんとはがんの種類が違うけど、様々なことを発信してくれたのはとてもありがたかったです。
アンナさんに対するコメントを読むと同じ乳がんを経験した方のコメントや他のガンを経験された方のコメントが多く、こちらにも励まされました。
全く知らない方の体験が支えになるなんて今まで経験したことはありません。
放射線治療が続きます。そして2年近く治療してきたのに、ここからまた10年治療が続くことになります。
やっぱりガンって実際に患者にしかわからない、いろいろな思いがあります。そんな思い、できることならしないほうがいい。
どのようにまとめようか、うーん手術が終わったばかりでまだ、私のガンがどのようなガンなのかもわかっていないのでまとめられないかな。・・・なかなか言葉がでてきません。
退院までのことも何か抜けてるかもしれないので、追記するかもしれません。
治療はまだ続きますが、2年近く持ち続けていた乳がんを切除したことは私にとって大きなことです。
今現在、かゆみはありません。
痛みは手術前に比べるとかなり少ないです。もしかして傷の痛みだけなのかも。
このブログを読んでくださっている皆さんの多くは私が存じ上げない方ですが、きっと気にかけてくださっていただろうと思います。
ご心配と応援をありがとうございました。
これからも治療のこと、猫のことなどこのブログは続けたいと思います。
よろしければまたご来訪いただけると嬉しいです。