続きまして第二部は題して「LanciaD50、1955年の7か月とLANCIA史上最も悲しい日7月26日」です。Lanciaがテーマの今回の講座の題名は悲劇の大河ドラマのようなヒストリーです。ScuderiaLanciaというF1チームがLanciaにあったのです。マシンは「LanciaD50」と言いガソリンタンクが両脇にあり重量配分に優れたグランプリマシンなのだが、ドライバーはあの有名なアルベルト・アスカリであった。Monzaサーキットでテスト中に事故死・・・。それが遠因となってLanciaはF1チームごとFerrariに譲渡。
その日が1955年7月26日なのだ。(この講演会は7月27日に行われた・・)ヒストリーはMさんの独特な語り口調で、LanciaD50の独創的なメカニズムとアルベルト・アスカリの悲劇的なエピソードを織り交ぜ展開する話に、聴講者は全員釘付けでした。ふむぅふむぅと確かにLanciaの悲劇ですな・・・・、呟くRYUであった。(その後、Ferarriに譲渡されてからD50って優勝するんですよね。しかも我らがMaserati250Fがライバルだったし。)
それにしても演題者のMさんってアナログです。このIT化された世の中、プレゼンはPowerPointやプロジェクタなどは一切使わず全て紙です。恐れ入ります。この方の信念でしょうか・・・?拘りです。Lastに何故か「アスカリ親子の悲劇」と「武田信玄と勝頼」をダブらせて語っていましたが、あまりにも日本的解釈が入りすぎでは?と余計なこと思っちゃいました。(それがまたこの方の良いところかも?)
追伸:次回はあのトレンタ・トレ・ドゥエ・ストラダーレをデザインしたフランコ・スカリオーネがテーマです。これも興味深々です。また行っちゃおう!
その日が1955年7月26日なのだ。(この講演会は7月27日に行われた・・)ヒストリーはMさんの独特な語り口調で、LanciaD50の独創的なメカニズムとアルベルト・アスカリの悲劇的なエピソードを織り交ぜ展開する話に、聴講者は全員釘付けでした。ふむぅふむぅと確かにLanciaの悲劇ですな・・・・、呟くRYUであった。(その後、Ferarriに譲渡されてからD50って優勝するんですよね。しかも我らがMaserati250Fがライバルだったし。)
それにしても演題者のMさんってアナログです。このIT化された世の中、プレゼンはPowerPointやプロジェクタなどは一切使わず全て紙です。恐れ入ります。この方の信念でしょうか・・・?拘りです。Lastに何故か「アスカリ親子の悲劇」と「武田信玄と勝頼」をダブらせて語っていましたが、あまりにも日本的解釈が入りすぎでは?と余計なこと思っちゃいました。(それがまたこの方の良いところかも?)
追伸:次回はあのトレンタ・トレ・ドゥエ・ストラダーレをデザインしたフランコ・スカリオーネがテーマです。これも興味深々です。また行っちゃおう!