長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『マ・レイニーのブラックボトム』

2021-01-04 | 映画レビュー(ま)

 多くの訃報が届いた2020年。僕が最も心を痛めたのはチャドウィック・ボーズマンの死だった。享年43歳。死因は大腸ガンだった。驚くべきことに彼の病状を知る人はほとんどおらず(マーベル首脳陣ですら把握していなかった)、大ヒット作『ブラックパンサー』の撮影中も化学療法の最中だったという。そんな彼の遺作となったのが本作『マ・レイニーのブラックボトム』だ。
 『フェンス』などで知られる黒人演劇の大家オーガスト・ウィルソンの同名戯曲を原作とするこの映画で、チャドウィックは1927年のトランぺッター、レヴィに扮した。映画はブルースの母と称された伝説的歌手マ・レイニーと、バンドのレコーディング風景を描いていく。黒人でありながら絶対的歌唱力によって白人社会からの敬意を勝ち取っていたマに対し、若きレヴィーは新たな時代の音楽を切り拓くべきだと対立する。

 これまでブラックパンサーやジャッキー・ロビンソンなど、黒人社会におけるロールモデルを演じてきたチャドウィックだが、本作のレヴィーは野心旺盛な反逆児。マの恋人をトランペットと目線で口説き落とし、ジャズピアノの上でセックスをするダーティーなキャラクターだ。まさにデンゼル・ワシントンにおける『グローリー』、はたまた『トレーニング・デイ』のようなパンキッシュさであり、チャドウィックがキャリアの新たな局面に到達していたことがわかる。

 バンドマン達は一向に現れないマを待ち続ける。優れた会話劇の条件は“音楽性”だ。年齢も音域も異なる黒人男性4人のやり取りはそれ自体がラップであり、チャドウィックもこれまで聞かせた事のないアクセントでリードする。『ブラックパンサー』を例に出すまでもなく、彼はメリル・ストリープばりのアクセントの名手でもあった。円熟の老優達とのアンサンブルは今年最上級である。

 世代の異なる彼らの会話から浮かび上がるのは黒人社会における意識格差だ。エヴァ・デュヴァネイ監督『ボクらを見る目』でも描かれたように、差別は被差別コミュニティの中にも分断をもたらす。生きた時代が違えば当然、反骨の志も異なる。またオーガスト・ウィルソンの『フェンス』では父親が自らが受けた差別体験を息子に味わわせないために、息子が世に出る機会を潰そうとした。
 だが母を犯され、父を吊るされたレヴィーにそんな老人達の言い分が通じるワケもない。病魔によって頬はこけ、憤怒に駆られたチャドウィックは鮮烈だ。

 リハーサル室にはどこへと通じるかもわからない扉がある。レヴィーが何度も体を打ち付け、ようやく蹴破った先には高い高い壁がそびえ立っていた。彼を取り囲む壁が黒人社会においてどんな意味を持つのかは言うまでもないだろう。しかし、チャドウィックは死してなお黒人俳優としてアカデミー主演男優賞の高みに昇りつつある。本当に惜しい才能を亡くしてしまった。


『マ・レイニーのブラックボトム』20・米
監督 ジョージ・C・ウルフ
出演 チャドウィック・ボーズマン、ヴィオラ・デイヴィス、グリン・ターマン、コールマン・ドミンゴ、ジェレミー・シャモス
※Netflixで独占配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『マンク』

2020-12-24 | 映画レビュー(ま)

 コロナショックによってハリウッドの大手メジャーが次々と新作の公開を断念する中、クリストファー・ノーラン監督作『テネット』を公開し、映画ファンへの仁義を果たしたかのように見えたワーナーブラザース。しかし大方の予想通り、製作費を回収する大ヒットに繋がらなかった事から2021年の劇場新作全てを公開と同時に自社の配信サービスHBOMaxでリリースすると発表した。
 これにノーランや『DUNE』が控えるドゥニ・ヴィルヌーヴらが「何の相談も受けていない」と猛反発。株主と数字におもねたワーナーによる地殻変動的シフトチェンジにハリウッドが大きく揺れている。フィルム至上主義者でもあるノーランら作家監督たちが怒りの声をあげる一方、酸いも甘いも知ったスティーヴン・ソダーバーグが「それでも劇場文化は消滅しない」とアカデミー賞の演出を飄々と務めれば、デヴィッド・フィンチャーの返答はNetflixより配信された本作『マンク』そのものであろう。

 これまでダークなスリラーを手掛けてきたフィンチャーが一転、亡父ジャック・フィンチャーが脚本を務めた座組も含めて、『マンク』は初めて素顔を垣間見せたと言ってもいいパーソナルで、キャリアのターニングポイントと言える作品だ。
 物語は1930年代、鳴り物入りでハリウッドに招かれた天才演出家オーソン・ウェルズが、映画史上の最高傑作『市民ケーン』を手掛けようとしていた。映画はその脚本を手掛けたハーマン・J・マンキーウィッツ=通称マンクを主人公に傑作誕生の裏側を描いていく。フィンチャーは『市民ケーン』における映像、編集、音楽、美術とあらゆるメソッドを現在の最新映画技術で徹底再現しており、その技術的達成は来るアカデミー賞でも大いに注目を集めるだろう。デジタル撮影の先駆者として培ってきた美しいモノクロームは絶品である。

 だがそれらは本作を語る上での表層に過ぎない。1930年代当時のハリウッドを取り巻く人物関係や、『市民ケーン』鑑賞は必修科目。『マンク』は映画史上、初めて時制を解体したと言われる『市民ケーン』の脚本構造もなぞっており、今一度謎の言葉“Rosebud”の秘密に迫ろうとする。新聞王にしてウェルズの敵であったハーストが、“バラのつぼみ”と呼んで愛した女優マリオン・デイヴィス役のアマンダ・サイフリッドは忘れ難い愛らしさであり、フィンチャー直々の指名でキャスティングされた『マンク』における“Rosebud”である。それでも『マンク』の深淵にはまだ辿り着かない。

 本作を読み解く上で無視できないのはこれがフィンチャーにとって『ゴーン・ガール』以来6年ぶりの長編映画であること、その6年間にNetflixで手掛けたTVシリーズ『マインドハンター』が情熱と労力に見合わぬリアクションで終わったこと、そしてNetflixと4年間の独占契約を結んだという事だ。フィンチャーはこの契約を「ピカソのように撮るため」だと言う。フィンチャーは世界で最もグローバルなアトリエにこもり、ウェルズですら成し得なかった最大限の創作の自由を得て映画を撮ろうとしているのだ。

 そこにはハリウッドへの失望がある。マンクはスタジオが手掛けた反シンクレアのキャンペーンに不快感を示す。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作『石油!』の著者であり、社会主義者でもあったシンクレアを、後にアカ狩りを行うハリウッドは良しとしなかった。当時、ハリウッドを支配していた新聞王ハーストの公然の秘密“バラのつぼみ”をネタにする事はマンクにとって命取りであり、実際に完成した『市民ケーン』はハーストのネガティブキャンペーンによって興行的に失敗、オスカーでは脚本賞1部門の受賞に留まる。権力に反し、自らの創作的プリンシプルを貫こうとするマンクに突き付けられた言葉が本作のハイライトだ。「誰がおまえのギャラを払っていると思う?」

 ここにフィンチャーの6年間の挫折が象徴されている。『マンク』はそんな結末を「ハリウッドってやつは」とオーソン・ウェルズに毒づかせ、「映画の魔法さ」とマンクに肩をすくめさせる。フィンチャーの映画に対する如何ともし難い愛憎がここにある。

 コロナショックによって窮地に立たされたハリウッドは今後、さらなるブロックバスター、フランチャイズの製作に邁進していく事だろう。一方、ハリウッド映画が途絶えた今年、多くのファンがPeakTV下の傑作TVシリーズに触れ、その複雑で豊かなストーリーテリングに魅せられたと思う。混迷の時代を描くべく、TVシリーズのストーリーテリングはより複雑化し、新たな文脈が試みられ、ハイコンテクスト化していった(TVドラマとしての連続性を無視し、コンテクストのために構築された『ラヴクラフトカントリー』は現在の到達点だろう)。

 『マンク』は第2次大戦とレッドパージ前夜というアメリカの風景、ハリウッドスタジオシステムの栄華と弊害、そしてNetflixを通じてのハリウッド批評という幾重ものレイヤーを用意し、天才フィンチャーが天才オーソン・ウェルズ通じて自らのクリエイティビティと向き合った究極の私映画である。この重層性こそ2020年代のナラティブであり、フィンチャーは絶頂期のピカソの如くそれを進化させていく事だろう。


『マンク』20・米
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ゲイリー・オールドマン、アマンダ・サイフリッド、リリー・コリンズ、アーリス・ハワード、トム・ペルフリー、チャールズ・ダンス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『魔女がいっぱい』

2020-12-16 | 映画レビュー(ま)

 ロバート・ゼメキス監督がロアルド・ダールを映画化、と聞いて師匠筋のスピルバーグがやはりダールの『BFG』を撮った時のような巨匠の余戯を想像したが、意外やフタを開けてビックリだ。舞台は1960年代のアメリカ南部。両親を亡くした黒人少年が祖母の元に引き取られと、かつて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマイケル・J・フォックスにチャック・ベリーを盗ませ、『フォレスト・ガンプ』で公民権運動を無かった事にしたゼメキスが初めて黒人主役の映画を撮っているではないか!!
(『フライト』のデンゼル・ワシントンは人種について言及のない役であり、人種を超えた類稀なスターなのでここではカウントしない)。

 これだけでも『魔女がいっぱい』はゼメキスという作家を語る上で素通りできない重要作だ。製作にギレルモ・デルトロが加わっていることも無視できない要素だろう。彼がこれまで描いてきた異形の者への偏愛は、子供をネズミにして踏みつぶす事を生きがいとする魔女が、意外や人の世に生きづらさを抱えているというダールらしいペーソスに相通ずるものがある。祖母役にはオスカー受賞作『シェイプ・オブ・ウォーター』にも出演したオクタヴィア・スペンサーが扮し、その愛嬌ある存在感で映画にファニーな魅力をもたらしている。

 見所は何と言っても魔女役のアン・ハサウェイだ。ゴージャスな外見は世を忍ぶ仮の姿。その正体は耳元まで口が裂け、手足はカギ爪、頭はカツラで醜くかぶれた怪物だ。CGと特殊メイク、へんてこなアクセントをフル活用しての怪演は『永遠に美しく…』よろしく、大女優への道に課せられた伝統芸か。もっとも、彼女にはそろそろ『ブロークバック・マウンテン』や『レイチェルの結婚』で見せたチャレンジングな演技を期待しているのだが。

 先頃、ダールの生前におけるユダヤ差別発言を遺族が公式に謝罪する一幕があった。本作の原作は未読だが、ダールのブラックなユーモアを活かしつつ、Black Lives Matterへの巧みな置き換えに脚色陣の原作に対する愛と知性が感じられた。それはダールのみならず、ゼメキスをもキャンセルカルチャーから次のフェーズに進ませるのではないだろうか。


『魔女がいっぱい』20・米
監督 ロバート・ゼメキス
出演 アン・ハサウェイ、オクタヴィア・スペンサー、スタンリー・トゥッチ、クリス・ロック
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『マグダラのマリア』

2020-04-17 | 映画レビュー(ま)

 マグダラのマリアの視点からキリストを語り直すという本作も所謂“Me too”映画の一種と言っていいだろう。男性優位の宗教社会において“罪深い女”と位置付けられ、聖人と認められたのは2016年と聞いて驚いた。映画は漁村の貧しい娘がキリストの教えに導かれて家父長社会を抜け出し、その敬虔さから“復活”の目撃者となるまでを描いていく。

演じるルーニー・マーラはその聡明さに打ってつけのキャスティングであり、前作『LION』に続いてガース・デイヴィス監督は彼女のフォトジェニックな美しさを引き出す事に成功している。キリスト役にはホアキン・フェニックスが扮し、苦悶と狂気を湛えた独自の人物造形を見せた。通算3度の共演となる2人が婚約したのは御存知の通り。どこか内気な繊細さが似通っていて、いいカップルだと思う。

 映画はマーラを得てマグダラのマリアを等身大の女性として描いたが、美しい撮影とポエティックなトーンがややワンパターンで、全体的にボヤけてしまった印象は拭えない。


『マグダラのマリア』18・英
監督 ガース・デイヴィス
出演 ルーニー・マーラ、ホアキン・フェニックス、タハール・ラヒム、キウェテル・イジョホー、シラ・ハース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『MUD』

2020-04-13 | 映画レビュー(ま)

 ジェフ・ニコルズ監督の長編第2作『MUD』はどこか懐かしさを感じさせる、豊かな時間の流れる映画だ。アメリカ南部アーカンソーを舞台にした本作は特定の時代を意識させず、それが嬉しいことに70年代アメリカ映画との地続き感を錯覚させる。

 14歳のエリスとネックボーンは湿地に囲まれた孤島に潜む謎の男マッドと出会う。薄汚れ、正気も疑わしいこの男は追手から身を隠しながら最愛の女性ジュニパーを待ち続けていると言う。同じく初恋に目覚めたばかりのエリスの中で純愛という言葉がロマンチシズムを燃やす。彼はマッドに手を貸す事にするのだが…。

 映画は誰もが経験した少年時代の終わりというイニシェーションの旅を鮮やかに浮かび上がらせていく。きっと恋やセックスを肌身で感じたあの瞬間が少年時代の終わりだったのではないか。そんな劇的事件の象徴として現れるマッド役マシュー・マコノヒーは時に狂気的な純愛を、不思議なことにまるで聖者のような神々しさを持って演じている。ジュニパー役のリース・ウィザースプーンもスターオーラを消し、愚かな選択を続けてしまう宿命の女を好演だ。

 ただし、時代に反抗したニューシネマとは違い、悲劇は訪れず、マッドにも然るべき結末が訪れる。それが現在の映画だろう。懐かしい気持ちを呼び起こしてくれる清々しい1本だ。


『MUD』13・米
監督 ジェフ・ニコルズ
出演 マシュー・マコノヒー、タイ・シェリダン、ジェイコブ・ロフランド、リース・ウィザースプーン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする