長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『コントロール』

2020-03-31 | 映画レビュー(こ)

 1979年に自殺したジョイ・ディヴィジョンのボーカル、イアン・カーティスを描いた伝記映画。ロックフォトグラファーでもあるアントン・コービン監督の計算され尽くした美しいモノクロームは、まるで本物のジョイ・ディヴィジョンのオフショットを見ているかのようであり、イアン・カーティスを知らなくともその深淵な音楽世界を築き上げた繊細さに魅せられてしまうハズだ。

 コービンは本作をアーティスト破天荒列伝に留めるような事はせず、詩作と人間性に迫る事でカーティスがその後の音楽シーンに与えた影響を論評する音楽映画としても機能していく。てんかんの発症による死の影を帯びた事で、カーティスは自らの墜落をコントロールできなかったのではないか。ジョイ・ディヴィジョンは加速度的に輝きを増し、散っていったのである。

 カーティス役サム・ライリーの若鹿のような肢体がしなやかに映える。後の『ビザンチウム』ではすっかり逞しい青年に変わってしまっていた事を思うと、これ以外にないタイミングだったのだろう。まさに発作のようなライブパフォーマンスを再現しているが、むしろ容姿は似ておらず、その精神性こそ捉えた演技である。


『コントロール』07・英
監督 アントン・コービン
出演 サム・ライリー、サマンサ・モートン
 
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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

2020-01-17 | 映画レビュー(こ)

 映画が始まるまでの間、無数に流れる邦画の予告編に「いったい誰がこんな映画を見るのだろう」と気が遠くなった。声を張り上げるだけの演技を有難り、いつまでも学園モノにすがって大人になることを拒み、二昔前のハリウッド映画がやっていたであろう娯楽に歓喜する。そんな日本の芸能界で所属事務所との確執から名前と活動の場を奪われた能年玲奈は多くの若手女優同様の凡百なキャリアを辿らずに済んだ。それで良かったのではと思う。

 2016年に公開された『この世界の片隅に』は低予算映画ながら口コミで3年間ものロングランヒットを続け、その成功を受けて新たに40分ものシーンが追加された本作が製作された。単なるディレクターズカット、“完全版”ではない。構成、演出のスピードが変化しており、それでもなお観客に求めるリテラシーの高さは変わらず、より豊かな傑作として生まれ変わっている。能年玲奈は同世代女優から抜きんでたオルタナティヴになったと言っても過言ではないだろう。

 低予算ゆえにいくつものシーンの製作を断念せざるを得なかった前作は、その省略の妙によって多くの行間を生んでいた。40分を加えた本作でもその創作のプリンシプルは変わっていない。主人公“すず”のみならず多くの女性達が描かれ、男の論理である戦争の搾取構造がより鮮明となっている。また原爆を生き延びた妹の手に滲む紫の斑点や、坂を上り切れなくなった近所のおばちゃん等々は、原爆投下後のヒロシマで当たり前の景色としてあった原爆症の描写だ。知識がないとわかりにくいが、少しでも気になればぜひ調べてみて欲しい。

 本作のもう1つの変更点はより肉感的となったすずのキャラクターだ。柔らかな絵のタッチとは裏腹のなまめかしさに驚く。彼女を取り巻く登場人物が掘り下げられた事で田舎の純朴な娘に情動が宿り、より血肉を得た人物として画面から浮き上がっているのだ。片渕監督は精緻な描写で当時の街並みを書き起こし、語るべき言葉もなくこの世を去った人々に物語を見出した。広島の片田舎には今もなお、にこやかに暮らす“すずさん”のようなおばあさんが居るのだろう。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』19・日
監督 片渕須直
出演 のん
 
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『コレット』

2019-12-02 | 映画レビュー(こ)

 1920年代に活躍したフランス人作家シドニー・ガブリエル・コレットほど#Me tooの時代に相応しい人物はいないだろう。女性名義での出版が主流でない時代に夫のゴーストライターとして書き続け、人気作家となってからは夫を捨て、同性の恋人と舞台巡業の旅に出て、女優デビューも果たしている。彼女が書いた小説『ジジ』のブロードウェー版では当時無名のオードリー・ヘプバーンを発掘しているというのも驚きだ。1つの性にも1つの肩書にも収まらない、マルチな才能の持ち主であり、時代を100年先駆けたと言っても過言ではないだろう。そんな彼女をキーラ・ナイトレイが凛々しく演じている。

 『アリスのままで』で知られる監督ウォッシュ・ウエストモアと故リチャード・グラツァーのコンビが脚本執筆に取り掛かったのは遡ること2001年であり、当初のタイトルは『コレットとウィリー』だったという。弁が立ち、抜群のプロデュース力でゴーストライター・コレットを時代の寵児へと仕立て上げたウィリーは女遊びが絶えず、夫としては落伍者だった。そんな彼が奔放過ぎるコレットを時には軟禁状態にしてまで書かせ、偉大な作家へと成長させたのである。おそらく、当初の脚本はそんな2人の奇妙なパワーバランスに着目していたと思われるが、15年にグラツァーがこの世を去り、#Me tooが起きてすっかりテーマは変容し、僕たちの目も変わってしまった。完成した映画はそんなウィリーの功績には触れておらず、彼を唾棄すべき男として描いており、手厳しい。

ならばコレットの持つ今日性だけでなく、彼女の作品が時代に与えた功績にも注目すべきだったのではないか。彼女は時代のか弱い犠牲者ではなく、先駆者だったのだから。


『コレット』18・英、ハンガリー
監督 ウォッシュ・ウエストモア
出演 キーラ・ナイトレイ、ドミニク・ウエスト、デニース・ゴフ、フィオナ・ショウ、エレノア・トムリンソン
 
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『ゴーン・ガール』

2019-09-26 | 映画レビュー(こ)

デヴィッド・フィンチャー監督のスリラー作家としての円熟を感じさせる会心の1本だ。これまでの彼の作品同様、ヒリヒリするような緊張感がある一方、原作者ギリアン・フリンが自ら手掛けた脚色したストーリーは思いもよらぬツイストを1つも2つも加え、後半は驚いた事に観客席から何度も笑いが上がった。これは結婚にまつわるダークファンタジーだ。オレは本当に妻の全てを知っているのだろうか?妻はオレの全てを知っているのだろうか?オレが見ているのは彼女のほんの一部だけではないか?パートナーに対して少しでもやましい気持ちがある人は怒涛のドンデン返しに震え上がり、結婚前のカップルならば最悪のデート映画となるだろう。

ストーリーテラーとしてのフィンチャーの巧みさが光る。闇夜が映える硬質な映像美、トレント・レズナーとアッティカ・ロスによるクールな音楽は『ソーシャル・ネットワーク』以後のフィンチャースタイルとして定着。そして観客をミスリードするためのキャスティングには悪意すら覚えた。今やオスカー監督にも関わらず、スクリーンに顔を出せばその朴訥さがマヌケな夫役にぴったりなベン・アフレックはそのケツアゴまでネタにされる始末だ(監督としてはフィンチャーの現場を大いに満喫した事だろう)。ちょっとレズっぽい妹役キャリー・クーン、絵に描いたような愛人役エミリー・ラタコウスキー、キモチの悪いニール・パトリック・ハリスら助演陣の顔触れには今やどんな素材でも料理できるフィンチャーの自信が現れている。

何よりこの映画は“ファッキン・アメージング”なエイミー役ロザムンド・パイクの一大ブレイクスルーを堪能する映画だ。ボンドガールとしてハル・ベリーの向こうを張ってから十余年。美貌と年不相応な落ち着きが役柄を狭めてきた感があったが、本作はそんなイメージをひっくり返すにはおあつらえ向きだ。次々とその印象は変化し、ヤッピー!と飛び上がるだけで観客はゲラゲラ笑い転げてしまう。アイスブロンドに低音ボイス、刺すようなクール・アズ・アイス…ラストショットはまさに“氷の微笑”であった。サスペンス映画史に新たな悪女が名を刻んだ瞬間である。


『ゴーン・ガール』14・米
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ベン・アフレック、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリス、タイラー・ペリー、キャリー・クーン、エミリー・ラタコウスキー
 
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『ゴールデン・リバー』

2019-08-14 | 映画レビュー(こ)

作品同様にパンチのある外見をした監督といえば現代フレンチノワールの巨匠ジャック・オーディアールもその1人だろう。スキンヘッドに片時も離さないサングラス…完全に“その筋の人”だ。作る映画も“動詞”だけで積み上げる実に端正なものである。

そんなオーディアールの初の英語映画となる本作はいつもと調子が違う。西部劇、主演はホアキン・フェニックス、ジョン・C・ライリー、ジェイク・ギレンホール、リズ・アーメッドとハリウッドで活躍する演技派揃い。台詞も多く、そして笑えるのである。オーディアールに期待していた作風かと聞かれればやや答えに窮するが、これは新境地と言っていいだろう。

舞台はゴールドラッシュ時代のアメリカ西部。悪名を馳せる殺し屋シスターズ兄弟は提督の命令である化学者の行方を追っていた。先発する提督の部下モリスとは連絡がつかない。どうやら寝返ったようだ。化学者はある秘密の化学式を解明しており、西部中がそれを狙っていた。

すぐ酒に酔い、辺り構わず銃をぶっ放す弟チャーリー役はホアキン・フェニックスにとってなんら造作のない役柄だろう。ほとんどサイコパスである彼を制する事ができるのは兄イーライだけだ。毎日のようにブサイクとバカにされながら、襲い来る刺客を次々と返り討ちにする。彼も十分な人殺しだが、口臭を気にしては当時まだ目新しかった歯磨きに勤しみ、忘れられぬ女から貰ったショールを枕にして眠るような男であり、演じるジョン・C・ライリーのユーモラスな演技のおかげで笑わずにはいられない。ホアキンに食われる所か、むしろホアキンの方がうっかり『俺たちシリーズ』に出てしまったような雰囲気すら漂う。これはかつてオスカー受賞式でコメディアン達から「オスカーはお笑い芸人に厳しいのに、何でお前はノミネートされるんだ」と茶化されてきたライリーの集大成的な役柄だろう。

ジャック・オーディアールはなぜこの稀有な性格俳優を主演に据え、初の英語映画に挑戦したのだろうか?その理由はラストシーンの「兄へ」という献辞で明らかになる。本作は26歳で事故死した監督志望の兄フランソワに捧げられているのだ。いかなる時も命懸けで弟を守る兄イーライの姿にオーディアールはフランソワの姿を見出し、ライリーに託したのだろう。これまでの作品と大きく異なるのはそんなパーソナルな想いが込められているからなのだ。オーデイアールのサングラスの奥に何かが見えたような気がする1本である。


『ゴールデン・リバー』18・米、仏、スペイン、ルーマニア、ベルギー
監督 ジャック・オーディアール
出演 ジョン・C・ライリー、ホアキン・フェニックス、ジェイク・ギレンホール、リズ・アーメッド
 
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