長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『マルコム&マリー』

2021-02-19 | 映画レビュー(ま)

 コロナショックによって多くの映画製作が中断に追い込まれたハリウッドも、厳格なマネージメントにより徐々にプロダクションが再開しつつある。本作はコロナ禍の2020年、ゼンデイヤが『ユーフォリア』でタッグを組んだサム・レヴィンソン監督に声をかけ、ワンシチェーションで撮られた2人芝居映画だ。ひと昔前ならこんな実験映画はなかなか陽の目を見ないところだが、これをワールドリリースできてしまうのがNetflixが存在する2020年代である。サム・レヴィンソンは『アサシネーション・ネーション』や『ユーフォリア』で見せた過剰なまでの技巧をほとんど封印し、オーセンティックでクールなモノクロ映画に仕上げている。

 夜も更けた頃、着飾った男女が帰宅する。男は上機嫌でほろ酔い気味。女は不機嫌そうな面持ちで、マカロニを湯にくべる。男マルコムは映画監督で、今夜は新作映画のプレミアが好評を博したのだ。しかし女マリーは気に食わない。マルコムはこともあろうに感謝のスピーチでマリーの名前を挙げ損ねたのだ。

 「私を軽んじないで」と言うマリー役ゼンデイヤの、これまでにない迫力に驚かされる。代表作が『スパイダーマン』シリーズや『ユーフォリア』の高校生役だったことを思えば、ようやく手に入れた等身大のキャラクターであり、彼女のキャリアにおいて重要なターニングポイントとなるだろう。「黒人クリエイターは余計に作品を政治的に見られる」というセリフが出てくるものの、レヴィンソン自ら手掛けた脚本は多分に私小説的であり、ここに『ユーフォリア』の主人公ルーの延長としてマリーがマッシュアップされている事から、本作はゼンデイヤあってのコラボレートであることがよくわかる。哀しみにまみれたヒロインの姿は『ユーフォリア』を経たゼンデイヤの真骨頂であり、相手役ジョン・デヴィッド・ワシントンは奮闘するものの、2人芝居を持たせるには芝居の手数が少なく、やや分が悪い。

 芸術家に搾取される女性の悲哀を描きながら、「あんたを叱れるのは私しかいない」という女性の度量に寄り掛かった人情的作劇はやや古臭いが、“2020年の映画”としてゼンデイヤのパフォーマンスを記録することは重要だろう。作品規模と、有力候補を多数抱えるNetflixの現状からすると実現は難しいかもしれないが、彼女のオスカー候補を期待する声もある。


『マルコム&マリー』21・米
監督 サム・レヴィンソン
出演 ゼンデイヤ、ジョン・デヴィッド・ワシントン

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